
この碑の建立をめぐっても、地元住民による「戦犯を顕彰する碑は違憲」との訴訟は最高裁まで持ち込まれ、棄却されています。思考の振幅の大きさが日本人の特性でもあるのですが‥。この碑の碑文はそうした反対運動に配慮した結果なのでしょうが、何故、歴史的事実を事実として残せなかったのでしょうか?碑文に『永久平和を願って』と記したところで、この地で戦犯60名が処刑、18名が獄死、2名が自殺し、収監された戦犯総数が1600名であったという歴史的事実が変わるものではありません‥。
『タトヘ判決ハドウアラウトモ、ソレハ敵国トシテノ目カラ見テノコト、私ハ日本人トシテ何ラ良心ニハヅルトコロハナイ。‥(略)‥何ニシテモ敗レタモノハ弱い。~』 =元陸軍大尉の遺書より=
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連合国(アメリカ)は7名のA級戦犯が神格化されるのを恐れ、遺骨など一切遺族へ返却は認めませんでしたが、敢て斎場から遺骨・遺灰を持ち出した方達により静岡県熱海市伊豆山の興亜観音に「七士之碑」として祀られており、愛知県幡豆郡三ヶ根山には、伊豆山より分骨埋葬した「殉国七士墓」があります。