sugamo_p2池袋のサンシャインシティに寄り添うように東池袋中央公園があり、公園の片隅にひっそりと「平和の碑」という慰霊碑が建立されています。碑の表には『永久平和を願って』と記され、裏には『極東軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑がこの地で執行された』と記されています。この公園は第二次大戦後の「極東軍事裁判/東京裁判」により裁かれた戦犯が拘留されていた『巣鴨プリズン』の跡地で、1948年12月23日,今上天皇(当時の皇太子明仁親王)の誕生日に東条英機元首相ら7名のA級戦犯の死刑が執行された場所です。(石碑の奥の植え込み辺りが”絞首台”のあった場所らしいのですが‥)。東京裁判自体が「復讐裁判」の色合いが強いものとされていますが、この巣鴨プリズンでも”敗戦国の国民が同国人の戦犯の刑を執行する”という異様な事態が生じていました。
この碑の建立をめぐっても、地元住民による「戦犯を顕彰する碑は違憲」との訴訟は最高裁まで持ち込まれ、棄却されています。思考の振幅の大きさが日本人の特性でもあるのですが‥。この碑の碑文はそうした反対運動に配慮した結果なのでしょうが、何故、歴史的事実を事実として残せなかったのでしょうか?碑文に『永久平和を願って』と記したところで、この地で戦犯60名が処刑、18名が獄死、2名が自殺し、収監された戦犯総数が1600名であったという歴史的事実が変わるものではありません‥。

『タトヘ判決ハドウアラウトモ、ソレハ敵国トシテノ目カラ見テノコト、私ハ日本人トシテ何ラ良心ニハヅルトコロハナイ。‥(略)‥何ニシテモ敗レタモノハ弱い。~』   =元陸軍大尉の遺書より=
・・・・・・・・・・・・・・・
連合国(アメリカ)は7名のA級戦犯が神格化されるのを恐れ、遺骨など一切遺族へ返却は認めませんでしたが、敢て斎場から遺骨・遺灰を持ち出した方達により静岡県熱海市伊豆山の興亜観音に「七士之碑」として祀られており、愛知県幡豆郡三ヶ根山には、伊豆山より分骨埋葬した「殉国七士墓」があります