namoyoke1namiyoke2江戸時代・万治年間、築地一帯では埋立て工事が盛んに行われていました。重機もブルも無い時代では工事は難行したと伝えられています。その折”海中に漂う稲荷神の像を見つけ、祭ったところ工事が無事完了した”と伝えが「波除」の社号もこの伝承に由来するとされます。‥浅草寺といい波除神社といい、ご神体がそう簡単に波間をプカプカしているものなのでしょうか?‥本来のは社号は「波除神社」ではなく『波除稲荷神社』なので、となれば波間に漂っていたのは『倉稲魂命』の像ということになります。(倉稲魂命の像って見たことありませんが‥) 稲荷社の割には境内には神使のきつね像がありません。魚河岸で食事中なのでしょうか?(摂社の小規模な稲荷社に居ますが‥)代わりに大きな獅子頭が置かれています。神社の祭礼「つきじ獅子祭」時に担ぎ出されるそうですがかなり迫力あります。他にも「すし塚」やら「玉子塚」やらの碑はいかにも築地ならではです‥。
予定される築地移転に際しては神社さんも果たして同行するのでしょうか?