kubi南千住駅下車すぐに江戸時代から明治初期にかけて存在した”小塚原刑場跡”があります。写真の首切地蔵は死者を弔うため1741年に建立されたとされています。ここ地では創設から廃止まで約20万人以上の罪人が処刑されています。明治13年制定に「死刑ハ絞首トス」と刑法が制定されるまでは、日本の死刑執行は”斬首/首切り”で、山田朝右衛門が代々執行していました(同じ名前で8代にわたりますが‥)
江戸時代の斬首刑はかなり非人道的な処刑方法です。首の部分は晒し者とされ、首の無い胴体はそのまま放置。野犬や烏の食べるにまかせたとあります。これだけでも薄気味悪いのですが、山田朝右衛門家の他の家業について記された資料には”エ~ッ”と思う記載があります。この朝右衛門家は幕臣でも旗本でもなく実際はタダの浪人扱いなのです。斬首担当を任命しておいて不浄な家業だから家臣にはしないもないもんですが‥。斬首刑執行の傍ら、代々の将軍や大名の刀や薙刀の罪人の切り離された胴体を使っての試し切りも重要な仕事だったそうです。また刑場内に人斬り練習場を設置、後継者の育成の努めるなどもしていたそうです。この辺りまでは薄々は知っていましたが、さらにもう一つの家業である”人体から取り出した内臓を乾燥させて丸薬として販売して財をなしていた”などは全く知りませんでした。それが大昔のことではなくつい150年ほど前にはごく普通の習慣だったとは驚きです。