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明治政府の役人”金子賢太郎”は「監獄の目的は懲戒にあり」とし、囚人は「暴戻の悪徒」ゆえに「苦役に耐えず斃死」すれば「国の支出が軽される」提言しています。監獄とは「緩やかに死刑の執行を行う場所」で「死亡すれば経費が浮く…」いやはや凄まじい時代だったのです。‥この金子は後に大日本帝国憲法の作成や、日露戦争時にはアメリカから支援を引っ張っぱったりで叙勲を受け伯爵までなっています。これだけの『合法的大虐殺』を指示した役人がご立派な評価となったモノです‥
当時の一般工賃は1日40銭以上。これに対して囚人への工賃は1日9銭以上15銭以下で、実際に囚人に渡る額は1銭程度(!)だったそうです。この金額で昼夜を問わずの過酷労働なら開発予算の軽減にはなったことでしょう。樺戸集治監以降、空知集治監、釧路集治監(分館として網走)と建設され、樺戸では道路の建設、空知では炭鉱の掘削、釧路では硫黄の採掘に囚人の労働力が投入され、多くの囚人が犠牲者となっています。特に空知集治監の幌内炭鉱掘削事業では、さらに想像を絶する悲惨な状況だったといわれています。

札幌から旭川へ向って車で90分。国道275線はいわゆる旅行者が通って行く国道ではありません。
樺戸集治監が創られて人が集まって生まれた月形の町も、後年町民による廃止運動等の結果、大正8年廃止となり年月が過ぎて今度は町からの誘致運動により、昭和58年に月形刑務所が設置されています。歴史とは皮肉なものです‥。ずっと昔にこの町であった事が風化していくのは止められない時の流れです。この様な人達が暮らしたことを知ってあげて下さい(!)そうすれば彼らも少しは微笑んでくれる事と思います。
※この項はこれで終了にします。これで、ようやく35年前の忘れ物を見つけられたような気がします(苦笑)

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左上:玄関の磨耗した石段です。人の出入りがかなり激しかったようですね。
右上:展示室内です。天井や床はほぼオリジナルのようでかなり畝っています。
左下:集治監全景の模型です。広大な敷地を有した施設だったようです。
右下:他から移設された独房のレプリカのようですが、かなり疑わしい部分がありました。