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『永代橋』は橋長184.7m、幅22.0m、大正15年(1926)に完成しています。【放物線状の大規模ソリッドアーチを中心とする荘重な造形により近代的橋梁美を実現】なんだそうです(苦笑)。「東京復興事業の華」と称された清州橋に対し「帝都東京の門」と言われた永代橋は、ドイツ・ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルとしています。しかしながら橋梁支間100mを超え橋の構造は、当時の大規模構造物建設の水準を超えるす事例として評価されていました。実際のところ架橋工事にはかなりの高度な工業水準が必要とされるそうです。
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初代の『永代橋』の架橋は元禄11年(1698年)。5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して現在のよりも100m程上流に隅田川で4番目として架橋されました。元禄15年の赤穂浪士の吉良邸討ち入りでは浪士はこの橋を渡って泉岳寺に向かっています。享保4年以降、財政の困窮により永代橋の廃止が決定したのですが、運営の民間委託ということで橋の維持の諸経費を町方が負担することを条件に存続を許されています。文化4年(1807)には富岡八幡宮の祭礼に詰め掛けた群衆の重で橋が崩落、死者・行方不明者は実に1400人を超える史上最悪の落橋事故をおこしています。永代橋の江東区側に橋から近いとは言い難いですが、江戸元禄時代の豪商・紀国屋文左衛門に所縁の「紀文稲荷神社」があります。実際は紀文の屋敷跡とは違う場所のようですが、まぁ良しということとしましょう…。
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