072001072002この『明治大学博物館』は、「大江戸捕物帳の世界/アスキー新書」・(伊能秀明氏著)の中で紹介されいます。実際に出かけてみると、文献等で見知っているお道具の現物orレプリカが多数展示してあります。「刑事部門」の他「考古部門」や「商品部門」にも興味をひく展示物が多くあり、また同じ建物内には、作詞家「阿久悠」氏の記念館もあります。さて、写真上左、時代劇に登場する捕物道具の数々が展示してあり、壁にはこの道具を使用した『徳川幕府刑事図譜』よりの捕縛の図なんてのが数点展示してあります。

072003072004江戸時代は、幕府の定める刑法典『公事方御定書』に定められた拷問により自白をさせる方法がとられていました。拷問には「むち打」・「石抱責」・「海老責」・「釣責」の4種類があったそうです。写真左:石抱責の展示です。算盤板の上に罪人を正座させ、両膝の上に伊豆石を5~10枚積んで加重…。書いているだけで膝が痛くなります。一説には1枚=55㎏の石(!)たいていは気絶したそうです。それでもひるまない罪人には海老責と進み、釣責(右の絵)は両腕を背後でくくり拷問蔵の梁から4-5時間吊り下げる責めです。いくら自白重視とは云えこれは過酷です。

072005072007俵の中央の木枠は、主人殺害の罪人に適用の究極刑・鋸挽(のこぎりびき)の道具です。日本橋晒場所で首を竹鋸で引き、後に2日間晒し、江戸市中を1日引き廻して磔の刑。家屋敷家財は没収…。いやはやです。写真右の俵の奥が「獄門台」です。牢屋敷で斬首したのち、形状に捨札を建て獄門台に首を晒す。追剥、主人の妻と密通、毒薬販売、関所破り…に適用され家屋敷、家財はことごとく没収…。この時代は”懲役刑”はほんの微罪にしか適用されていません。

072006072008正直左の写真に映っている白黒写真は”やばい”です。これらは「暗闇坂刑場獄門写真」と称し明治2年に外国人旅行者が撮影したものです。写っているのは横浜の戸部監獄で処刑され暗闇坂刑場に晒された強盗団です。上の磔写真はこの強盗団を手引きした17-8歳の質屋の小僧で、下段の写真には、獄門首が6体と磔の死体、更には刑場の番人などの姿が映っています。冗談抜きで衝撃的です。写真右は磔台で手、足の横木が2本平行にあるのが男用(大文字に磔)で、女用は足台になっているそうです。さぁ”残酷モード”も最高潮になってきました。

072009072010足元に薪とくれば「火刑」です。台座の中央の穴に柱を立て罪人をくくり付けて、足元から薪をうず高く積み上げて、風上から点火して火あぶり…。八百屋お七は17歳で放火の罪で火あぶりですから…。”未成年がどうした”などという現在の刑法とは比べものになりません。この展示と背中合わせが前回の「ニュルンベルクの処女」と「ギロチン台」の展示です。後先ですが、このコーナーの初めには『刑事部門の展示見学にあたってのご注意として、この展示コーナーは、前近代における非人道的な拷問・刑罰の様子を知り、人権尊重の必要性を認識するための反省材料とすることを意図しています』とあります。実際の歴史背景に目を背けることなくの展示や解説は、さすがに大学内の博物館です。