072901072902平将門とは桓武天皇から見て5代目の子孫にあたり10世紀前半頃に関東に居を構えた武将で、時の京都に対して武士階級からのクーデーター事件の首謀者です。反乱は鎮圧され将門は処刑されたのですが、京都まで運ばれた首級は、晒された3日目に関東に飛んで行ったとの伝承があり、東京だけでも数か所の首やら胴、手、足から首桶から兜、鎧までを各々祀る神社が各所にあります。宮元健次氏の著書「神社の系譜・なぜそこにあるのか」・光文社新書に記述があり、これをネタ元にしたブログも見かけますが…。江戸幕府や太田道灌を遥かに遡る平安時代の話なので確証は難しいようです。この田安門近くの「築土神社」は、将門公の生首を現千代田区大手町周辺の観音堂に祀ったのに始まり、後年、太田道灌が社殿を造営、天文年間に現九段坂上に、天正年間には現JR飯田橋駅付近へ、元和2年には新宿区筑土八幡町へと移転し「築土明神」と改称しました。昭和20年戦災により社殿が全焼。翌年に千代田区富士見に、昭和29年「世継稲荷神社」の敷地内へ移転しました。これだけ移転につぐ移転となると、どこかで伝承が曲がった様な気がしないでもありませんが…。
*世継稲荷神社の敷地内に移転してきた割には、築土神社の社殿の方がどう見ても”立派”です。

072903s072904こちらは新宿区築土八幡宮町の「築土八幡宮」です。宮元健次氏の著書には将門の「足」を祀るとありますが、境内には「足」の「あ」を記載した由来書きはありませんでした。前述の築土神社の移転歴史とかぶっていますので、情報が交錯してしまったのでしょうか(?)こちらの神社には2匹の猿が彫られた庚申塔があり、各々の猿が桃の枝を持っている珍しい意匠となっています。更には階段途中の鳥居が石造りの鳥居がいい味を醸し出しています。