0730507306室町時代、太田道灌の娘が疱瘡に罹って死にかけた折、道灌が京都の天然痘に霊験のある一口稲荷神社(いもあらいいなり)に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したという。道灌はこのことに感謝し、一口稲荷神社を勧請して旧江戸城(道灌江戸城)に稲荷神社を築いたとされる。社名の「太田姫」は”道灌の娘”という意味ではなく道灌に狐の姿で現れて江戸城鬼門に祀れと告げた「太田姫命」のことだそうです。もともと、この太田姫稲荷社は現御茶ノ水駅聖橋口に在り、昭和6年(1931年)に総武線の拡張工事により現在の地へ移転したそうです。
本殿には太鼓に乗っかっている狐がいます。遠目に見ると”木彫”らしいのですが…。見事な”飛び姿”です。

07302「太田姫稲荷社」から少し離れて、神田小川町に「幸徳稲荷神社」があります。写真の様にビル2階なので普通の街稲荷かと思いましたが、これがどうして由緒ある稲荷社のようです。=旧幕時代山城の国淀の城主・稲葉但後之守(三代将軍徳川家光の乳人、春日の局の後裔)の江戸小川丁中屋敷内に祀られてあったもので、当時は鍛冶屋稲荷と称し代々五穀豊穣武運長久を祈願された由緒ある社と伝えられています=との由緒はともかく、こうやって地域の人達に愛され大事にされてきた神社さん…良いですねぇ!とはいうものの千代田区も秋葉原からお茶の水界隈は、規模こそ大きくないものの古社が実に多い地域です。