081201081202時代劇に良く登場する小伝馬町牢屋敷は現在の日本橋小伝馬町界隈にあたります。当時は約8700㎡の敷地を有し、慶長年間より明治8年に市ヶ谷に監獄ができるまで使用されていました。江戸時代の刑法は禁固若しくは懲役刑は存在せず、現代の拘置所に近く、死刑囚を収監しておく施設だったようです。さらに「判決の申し渡し」はTVのようにお白州ではなく、死刑の執行もこの牢屋敷内でされていました。東京メトロ小伝馬町駅を地上に出ると、いきなり”江戸史跡保存協賛会”による石碑&案内板がありますが。ここも敷地内だったのでしょうが…牢屋敷跡の記念碑的なものは近くの十思公園・村雲別院・大安楽寺などにあります。

081203081205写真は十思公園内の”東京都教育委員会”による案内板です。この案内板はイタスラなのしょうか、伏字部分がかなりあります。伏字にするような内容ではないのですが…判りません。写真右は「松陰先生終焉之地の碑」です 安政の大獄で捕らえられた長州藩士吉田松陰は安政6年(1859年)伝馬町牢屋敷で処刑されています。昭和14年に建立された石碑には処刑日前に書き上げた「留魂禄」のの冒頭にある「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも とどめおかまし大和魂」という松陰直筆の辞世の句が刻まれています。
『吉田松陰』…名前は有名ですが果たしてどうなんでしょうか?経歴年譜からの思想や行動は奇行の連続の感があります。アメリカへの密航に失敗、生国に送り返されて1857年に山口で松下村塾を作り再度幕府に反抗して、1859年に江戸で齢30歳で処刑されています。倒幕の志士達の拠り所となる思想家とはとても思えません。明治時代まで生き残った長州藩の(成り上がり)下級志士達によって無理やり祀り上げられた”大先生”の様な気がしてなりません。