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日本三大怨霊神(平将門、崇徳上皇、菅原道真)の平将門は平安時代中期に自ら『新皇』を称し京都朝廷に反乱を起こした関東の豪族です。反乱は鎮圧され将門は斬首、その首は平安京の都大路に晒され、伝承では数日後に夜空に舞い上がり関東方面に飛んで数か所に落下したとされています。著名なのが千代田区大手町1丁目2番にある「首塚」です。かつてこの地は『武蔵野国豊嶋郡芝崎村』と呼ばれていたそうで、首が落ちたのはこの付近という事になります。いつの頃からかこの付近で不埒なおこないをすると”祟り”があるとの伝承が生まれているのですが、疑問点があります。本来は江戸城の鬼門方向に祀られた将門ががいつの間にやら怨霊神となってしまいました。
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実際は”首”が飛んでくる訳がないので、何らかの将門と結びつける怨霊信仰があったのでしょうが、首が落ちたとされるのは現皇居・桔梗門(内桜田門)付近との説があり、このほうがしっくりきます。桔梗門は太田道灌の”桔梗の紋”に由来するといいますが、むしろ平将門の愛人「桔梗」に由来するの方が無理がないのかも知れません。都から舞い戻った将門の霊魂は様々な形に分散して江戸の街の各所に祀られています。ここまで丁重に祀られているにもかかわらず考えようによってはとんでもなく身勝手な霊魂です。そうなると一連の怨霊事件は将門によるものかどうか疑問です。現在は将門塚は整備中となっていました。それにしても解説板が三種類もあります。さらにはこの地が酒井雅楽頭に上屋敷跡であり山本周五郎の「樅の木は残った」の原田甲斐が殺害された現場でもあります。
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