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文京区大塚の真言宗豊山派の護国寺(神齢山悉地院大聖護国寺)は東京メトロ有楽町線護国寺駅の上にあります。創建は1681年、超マザコン将軍の徳川5代将軍綱吉が母親の桂昌院の願いにより桂昌院に祈願時として建立を命じたとされます。元禄10年(1697)建立の本堂、昭和3年に旧園城寺より移築された月光殿はをはじめ多くの重要文化財を有していますが、切妻造りの「仁王門」は元禄10年の本堂よりやや時代が下るも正面側の阿吽の金剛力士像、背面には増長天と広目天の仏像が置かれています。仁王門から本堂へ向かう石段途中には「不老門」は昭和13年(1938)の建立で鞍馬寺の門を模したとされます。Pt↑)の本堂・観音堂は元禄10年(1697)の正月に建設の幕命があり僅か半年の工期で8月には完成、落慶供養が行われています。これだけの建造物が将軍綱吉と桂昌院のの命によるとしても、半年で完成とは大変な技術ですが、300年超の年月を経て目の前に存在していることに驚きを感じえません。
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明治期以降徳川家との関係が絶えると、皇族や一般人の墓所となり、三条実美、山県有朋、田中光顕、大隈重信など著名人の墓所があります。個人の墓所には関心がないのですが、興味深いのが大正11年(1922)に85歳で亡くなった「大隈重信」の墓所と長州の成上がり者・山縣有朋の墓所が極近い場所にあります。大隈重信は30万人が参列する「国民葬」で、3週間後の山縣は”人影もまばら”と両者の人気のほどが判ります。明治維新の功労者でありながらパッとしない公家出身の「三条実美」の墓所もあり、この方々に比べれば「ジョサイア・コンドル」は小物にすぎません。
Pt↓)こんな所に「からすの赤ちゃん」の歌碑です。大隈重信の墓所は故郷の佐賀と護国寺にあります。
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