101502101501浅草寺の裏手、待乳山聖天から今戸神社向かう途中に山谷堀公園の碑が造られています。「山谷堀」は吉原遊郭の全盛時代に大川/隅田川から水路を吉原遊郭に通う” お大尽”が船で行き来した堀で、吉原大門付近から大川・竹屋の渡しまで約700㍍ほどの長さとなります。山谷堀の両側が”日本堤”で”土手通り”の名称に応時の香りがあります。上流の日本橋堤橋から今戸橋まで9つの橋が架けられていたが、現在はすべて埋めたてられています。堀の水源は水源は石神井川で、王子から音無川として日暮里・三ノ輪橋を経由して隅田川まで繋がっていました。この堀を舟で吉原に行き来するのが”粋”とされお金持ちの道楽だったようです。いつの時代も感覚的にはそうは変わりません(!)。いつ頃から音無川を堀に整備したかは良くわからないようですが、吉原遊郭は明暦の大火(1657年)以降に人形町の元吉原から千束の新吉原に移転しているので、これより昭和33年(1958年)に吉原遊郭が閉鎖されるまで200年前後親しまれたとなるのでしょうか(?)