102501102502振袖火事とは明暦3年1月18日から20日にかけて江戸の大半を焼失した”明暦の大火”を云います。火事の原因としては…①亡くなった娘の形見の振り袖をお寺で供養の最中、突如の風によって振袖が舞い上がり、それが燃え広がって江戸中が大火となった…との伝承。②江戸の街が急激に拡張したため都市計画がメチャクチャになってしまったので、再建を目的として幕府側が放火したとの説。③本当の火元は老中・安部忠秋の屋敷で、いくらなんでもこれはマズイので本妙寺が身代わりとなった。などの説がありますが③が当たりのようです。実際は1月18日14時頃に本妙寺から出火。1月19日10時頃に小石川伝通院付近から出火。1月19日16時頃には麹町で出火と3回の出火が連続して発生しています。この大火災による被害は延焼面積・死者共に江戸時代最大で、外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や大名屋敷、市街地の大半を焼失してしまい、江戸城の天守閣はこれ以後再建されていません。この火事での死者は3万から10万人及ぶそうです。「明暦の大火」を蹶起として政治・経済・習慣が大きく変化していきます。江戸時代を俯瞰すると重要な事件です。

写真は豊島区巣鴨5丁目の「本妙寺」です。明暦年間には本郷丸山にあり、明暦の大火の出火元との疑いがあります。火元とされた割には再建が許され、これが”身代わり説”の根拠となっています。明治43年豊島区巣鴨五丁目の地へ移転し、現在お寺には明暦の大火で亡くなった人々の供養塔があります。
この本妙寺には、北辰一刀流・千葉周作(中)や名奉行・遠山金四郎(右)などの墓所があります。
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