111302111301文京区・小石川に「慈眼院」という浄土宗の”お寺”があります。こちらがまた不可思議な(面白い)稲荷さんです。
慈眼院の創建年代は不詳ですが、伝通院の学寮に澤蔵司(たくぞうす)という名の修行僧おり、入寮から僅かか3年で浄土宗の奥義を極めたそうです。元和6年(1620)5月7日、澤蔵司が、学寮長樋山和尚の夢枕に立って「そもそも余は太田道潅公が千代田城内に勧請せる稲荷大明神なるが浄土の法味を受け多年の大望ここに達せり。今より元の神に帰りて長く当山を守護して法澤の荷恩に報い長く有縁の衆生を救い、諸願必ず満足せしめん。速く一社を建立して稲荷大明神を祀るべし」と告げて白狐の姿で去っていったという事です。伝通院の住職、郭山上人は「澤蔵司稲荷」を境内に祀り、慈眼院を別当寺としたそうです。「澤蔵司稲荷」は伝通院の塔頭の一つである慈眼院内の稲荷社となります。さらに、稲荷社の前にある椋の木には、沢蔵司の魂が宿ると云われています。澤蔵司は”天ぷら蕎麦”が好物で、伝通院の門前近くのそば屋でよく食べていたそうですが、沢蔵司が来店すると、必ず売り上げの中に木の葉が混じっていたといわれています。 ・写真左、これだけだと神社かお寺かわかりません。が、あきらかに白狐が意匠されています。
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111303111307よく知られるように稲荷信仰は、五穀豊穣を司る「宇迦之御魂神」の神道稲荷(神社)。インドの女性の神様「荼枳尼天」の仏教稲荷(お寺)。その他の民俗信仰系稲荷の3系統稲荷があり、「澤蔵司稲荷」は仏教的稲荷とおもわれるのですが…?・江戸城内の稲荷大明神(前述の内、どちら様でしょうか?)が浄土宗を修めるべく修行し、成績優秀で修められた学僧が”天ぷら蕎麦”が好きで、毎日通った割には蕎麦屋の勘定をごまかしていた。なんだか笑えるような人物像です…。 ・入口には「鳥居」が見当たりません。右:一段下がった窪地に鎮座しています。所謂”お穴様”なのでしょう。
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111306111305お寺なのですが、本殿前に狛きつね氏はおります。右は足元に珠、左は子狐のパターンで、親子狐は丸々として犬の親子の様に見えます。要するに、徳川家康の生母”於大の方”の「伝通院」内「慈眼院」に末社として稲荷社を祀ったなら何の不思議もないのですが…。狐が僧侶に化けてとか、千代田の城の稲荷大明神と名乗っているとか、伝承に面白いものがあります。境内もごこまでお寺で、どこから神社の明確な区別がないようでお寺と神社が微妙な関係で融合しています。

左:入口階段左右にはにレリーフが…。日向延岡藩と記載されています。
中:無量山傳通院鎮守・澤蔵司稲荷とあります。
右:稲荷社前の椋の大木には「沢蔵司」の魂が宿るとされています。木の葉で蕎麦がたべられるのなら…。
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