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こちちらが台東区下谷2丁目の『太郎稲荷』」です。ごく普通の街稲荷ですが、江戸時代には築後柳川藩立花家の江戸下屋敷があり、柳川より勧請した「太郎稲荷」が祀られていました。享和3年(1803年)頃、江戸の街に麻疹が大流行し柳川藩の若殿も罹患しています。下屋敷内の「太郎稲荷」に病気治癒を祈願したところ、たちまち病状が回復したそうです。この話が広まってご利益にあやかりたい人々が大挙して柳川藩下屋敷に押し寄せることとなりました。噂が噂を呼び、翌1804年になっても参拝者が殺到し続けたようです。江戸時代の町民は許可なく大名屋敷に立ち入れないため、立花家では月に4日間だけ神社を限定的に開放し、結果として益々の人気を煽ったようです。「陽がのぼる前から立花家下屋敷の門前には参詣者が詰めかけ、道脇に下水に落ち、泥だらけになる者数知れず」。…大変な混雑ぶりです。流行の拡大とともに、縁起類、はやり唄、小唄なども数多く創られたそうで、近くの浅草寺を上回る人気となり「太郎稲荷」近辺には新しい盛り場が形成されるというスゴイ事になりました。通常、流行は一過性ですが、「太郎稲荷」については、享和3年から文化元年にかけてが第一ピーク。天保年化に人気が再燃し、慶応3年(1867年)にも流行が再燃しています。
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現在の神社には繁栄の名残はありません。それでも人々に大切にされてきた様子が感じられます。 1)間口はこれだけです。住宅地に鎮座しているので注意しないと見落とします。 2)こじんまりとした本殿ですがさや堂が創られています。地元では大事にされてきたのでしょう。 3.)本殿の様子です。額の写真は講中での慰安旅行の記念写真のようです。
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