022501022505 江戸時代は宝暦年間、谷中の笠森稲荷門前のお茶屋「鍵屋」で働いていた看板娘が有名な美人『笠森・お仙』です。明和年間の浅草寺の『柳屋』という楊枝屋の看板娘『柳屋・お藤』と人気を二分して、更には二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」の看板娘『蔦谷・およし』も含めて江戸の三美人としてもてはやされたそうです。家業の水茶屋で働いていたお仙は浮世絵師・鈴木晴信の美人画のモデルとなり、江戸中のその評判が広がって、お仙見たさに笠森稲荷の参拝客が増えたといわれています。人気絶頂だったお仙はある日を境に突然鍵屋から姿を消しまいます。実際は結婚したのですが…。なんだか現代のアイドル・タレントにも繋がるようなお話です。
江戸時代、谷中には”大円寺”と”福泉院”の二か所に笠森稲荷があり、お仙の実家は福泉院前でした。幕末の上野戦争で福泉院は焼失・廃寺となってしまい、明治26年に福泉院跡に建立されたのが現在の「笠森稲荷」のある功徳林寺/くどくりんじ(台東区谷中7-6-9)です。

022503022504功徳林寺から三崎坂を下ったところ、幽霊画で知られる「全生庵」をもう少しく下った辺りに、日蓮宗の「大圓寺」があります。こちらのお寺には、お仙の当時全く新しい絵画様式である多色刷り版画「錦絵」に描いた絵師鈴木春信の「錦絵開祖鈴木晴信」碑と「笠森阿仙の碑」の二つの碑が大正8年に建てられています。山門脇には「瘡守稲荷安置」との石碑があり”瘡守”と”笠森”を混同して間違えたらしいのですが、お仙縁の笠森稲荷あった場所は、現功徳林寺の場所が正しいようです。なんでこんな事になってしったのでしょうか(苦笑)因みに両寺院は徒歩5分程度の距離です。右は本堂の写真です。向かって左が経王殿で、右が本尊の瘡守薬王菩薩を祀る薬王殿とありますが、入口が二つあるような珍しい造りになっています。