032201032202「明治維新」とは勝ち残った者の「造語」にほかなりません。大政奉還により国策は「開国」と一致しているのに、武力による戦いを仕掛け、幕府や自藩の殿様を廃した下級武士出身者が頂点に残るという図式。昨日まで「攘夷」を唱えた者達が権力を手に入れた途端に「開国」に転向とは…。これを「革命」ではなく「維新」と称するのはかなり無理があります。有能な人材は皆、早い時期に死んでいき、武力革命の功労者も結局は”粛清”され”功労者”は次々と歴史の舞台から降りてしまいます。 千代田区紀尾井町、清水谷公園の一角に「紀尾井坂の変」で知られる内務卿大久保利通の慰霊碑があります。東京丸の内駅舎の原敬遭難現場ってのも同様ですが”殺害現場に記念碑”と云うのも釈然としませんが…。
『ひそかに皇国の時状を熟察するに、およそ政令法度、上 天皇陛下の聖旨に出に非ず 下衆庶人民の公議由るに非ず 独り要路官史数人の臆断専決する所に在り』と大久保への斬姦状に記載しています。趣旨は容易ですが文章表現が難しいようです。独裁者的に国家をほしいままにしている(と思われた)大久保利通の最後はやはり悲惨な事になってしまいました。1878年5月14日、享年49歳。因みに事件の年、伊藤博文38歳、山形有朋41歳です。結局こんな連中が生き残ってこの国を牛耳っていくことになります。