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写真は大手門、旧江戸城の正門にあたります。この大手門は戦災で焼失し後に再建されていますが、興味深い事には「東北震災」時には江戸時代以来の門は概ね無事で、この再建大手渡櫓門の壁面だけが卵の殻を剥くようにボロボロと崩れてしまいました。現在は修復も完了し元の美しい姿を見せています。
徳川幕府創設時には幕府は各大名家に江戸城の建設普請を命じていました。この大手門については仙台伊達家があたっています。門の形式は「枡形門」と云われ手前の高麗門(こうらいもん)と奥側の渡櫓門(わたりやぐらもん)とで一対の形式で、各門の扉を閉じれば内側が砦となります。一の門(高麗門)を入って右に曲がって二の門(渡櫓門)となる形式で、日本人の約70%が右利なので、攻める兵は全身を晒さなければ弓や鉄砲が撃てず、守備側は半身を出せば弓、鉄砲が撃てる、世界にも稀な日本の城郭独特の防衛の考え方となっています。

左)石垣マニア(?)以外には関心がないでしょうが、高麗門入口付近には珍しい形式の石積みが見られます。
中)高麗門を真横から、渡櫓門を正面からです。有事にはこの区画が砦となります。
右)大手渡櫓門です。東北震災時に剥がれおちた壁は美しく修復されています。
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