写真は中の門跡です。この石垣は2005年~2007年にかけて解体修理がされています。この修理により基礎構造などが判明した事も多く、最大の石材は35㌧もあったそうです。門跡手前の長い建物が「百人番所」という本丸の最大の検問所です。ここでは根来、伊賀、甲賀、二十五騎組の4組編成が各与力20名、同心100名で昼夜を問わず交代で警備にあたっていました。
中の門を過ぎると右側に「大番所」と呼ばれる格式の高い番所があります。坂道左に登り再度右に曲がると「中雀門」と呼ばれる本丸への最後の門跡があります。現在は石垣の上に建造物はありませんが、江戸当時は櫓や多聞などの建造物が威圧的に建ち並んでいました。
左)解体修理での石垣の現物が展示されています。横幅の割には厚みが薄く造られています。
中)百人番所より三の門方向です。この建物南北に約50mあるそうです。
右)中の門より大番所方向です。大番所は他より格式が高く、位の高い与力、同心が詰めていました。
中の門を過ぎると右側に「大番所」と呼ばれる格式の高い番所があります。坂道左に登り再度右に曲がると「中雀門」と呼ばれる本丸への最後の門跡があります。現在は石垣の上に建造物はありませんが、江戸当時は櫓や多聞などの建造物が威圧的に建ち並んでいました。
左)解体修理での石垣の現物が展示されています。横幅の割には厚みが薄く造られています。
中)百人番所より三の門方向です。この建物南北に約50mあるそうです。
右)中の門より大番所方向です。大番所は他より格式が高く、位の高い与力、同心が詰めていました。