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旧江戸城天守台跡です。江戸城の天守閣は江戸時代初期の50年間しか存在しておらず、慶長年間の「家康」天守と元和年間の「秀忠」天守閣は建位置が異っています。この天守台は「家光」の寛永年間のもので、天守閣は黒壁に緑の銅葺き屋根で5層6階建て、天守台は4方約40㍍、高さは約58㍍もあったそうです。寛永天守閣(家光)も明暦の大火(振袖火事)で消失してしまいます。幕府は加賀前田藩に天守閣の再建を命じましたが、将軍叔父にあたる保科正之(家光の異母兄弟)の提言により天守閣の再建工事は中止となりました。この再建工事では、加賀前田藩は止せばよいのに瀬戸内海から石を運んできた為、他の伊豆産の石垣と違って見えます。

左)本丸御殿への最後の検問所「大番所」で、最も格式の高い番所です。建物は再建されています。
中)「書院門」若しくは「中雀門」と呼ばれる門の跡です。火災の痕と思われ石垣はボロボロになっています。
右)本丸跡の芝生広場です。この場所に江戸幕府の中枢となる建物が林立していました。
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