130802_4
これは【八足門】です。出雲大社は他の神社と異なった造形が多々見られます。例えば1)本殿は南向きになっています。2)拝殿や神楽殿の注連縄の編みかたが伊勢系とは逆です。3)参拝の作法も2拝2拍手1拝ではなく2拝4拍手1拝となっています。”伊勢系とは違う”という感がアチコチニ見られます。後述する本殿の「ご祀神・大国主」も座っている位置も変なのですが…。元々の伝承では、「大国主」が治める出雲の国に「伊勢の天照」から「お前の国を譲れ」のいきなりの申し入れがあり、紆余曲折の後「大国主」は国を禅譲する代わりに壮大な社を建てて貰うことを条件に出雲の国を平和裏に譲っています。こんな理不尽な話はないのですが…。ここから先は歴史学者の分野なので興味のある方はそちらの方を…。

130802_2130802_3二の鳥居からようやく四の鳥居までやってきました。この【銅鳥居】は国の重要文化財となっており、1666年(寛文6年)に毛利輝元の孫、綱広により奉納された日本最古の銅製の鳥居です。高さ6m、柱は直径52mで中央が膨らむエンタシス様式となっています。当時では鋳造の技術もさることながら木製や石造りより遥かに高額だったようです。鳥居の柱は参拝者が触っていく跡で色変わりしています。由来を書いたらしい文字が記載されていますが実に読みにくいです。
写真右は【御仮殿】と称する拝殿です。通常は祈祷所や奉納行事に使われていまが、2008年より始まった「平成の大遷都」では神殿を建て替え中は祀神の仮の住まいとなっていました。2013年5月10日に”本殿遷座祭”は終了、祀神は無事本殿に戻られました。

130802_1130802_6いよいよ【八足門/やつあしもん】です。2013年5月10日以降は、この門からお参りすることになります。この門は重要文化財に指定され見事な彫刻が施されています。お正月の数日間のみこの門の中へ入り参拝することができるそうです。ここでまた不思議な事があります。八足門から参拝するとご祀神の”大国主”は正面にこちらを向いて鎮座していません。ここからは、そっぽを向いたご祀神の横顔をお参りすることになります。出雲大社の実に不思議の一つです。
写真右は【東十九社】・長屋の方と【釜社】・勝男木のある方です。東十九社は西十九と対をなし、通常期は遥拝所として神在月(10月)に全国から神々が出雲に集まった時には神々の宿泊場所となり、年に一度の神々の全国大会が行われます。お隣の釜社のご祀神は食物全般を司る神の「宇迦之魂神/うかのたまのかみ」若しくは「保食神/うけもちのかみ」とよばれる神様です。

130802_7130802_8塀越しに見えるのが、国宝指定の【御本殿】です。神社建築史上最も古い形式である「大社造」がもちいられています。平成の大遷都により檜皮葺きの屋根はすべて新しいものとなりました。60年ごとの遷都を綿々と繰り返して来ているのですが、純木造建築は60年が限界でもあり、この年月なら祖父・父・子供と技術の伝承が可能であると云われます。いずれにしろ日本民族の有する知恵なのでしょう。ご本殿塀の高さは実に微妙にできており、内までの撮影や建物の配置を覗き見ることはできないようです。残念と云えば残念です。

130802_9130802_10実は本殿の見学までで駐車場から2時間以上が経過しています。写真左は本殿の西側に造られて参拝所です。こじんまりと造りですが、この場所からお参りすると”ご祀神・大国主”と真正面に正対してお参りすることができます。ご祀神を”正面からお参りさせてたくない”と云う作為が働いているという説や”神社創成時には神様を正面から参拝する事はなかった”などの説があります。個人的には「作為説」なのですが…、ともかくこの神社には不可解な事が数多く存在しています。右の【神楽殿】の注連縄もその一つです。長さ約13.5m、周囲約8m、重さ約4.4.tもあり、出雲大社では何故か左側が神聖とされているため「大国締め」という一般的な注連縄とは逆から巻かれています。

仕事がら出雲大社には行ったこともあります。観光ツアーではどうしても「来た・観た・帰る&土産」となってしまいます。旅行企画商品としてはそれでいいのですが…。「いつかゆっくり訪れたい」と思っていました。ようやく実現させることができました。なんだか「忘れ物」を取り戻した気分です。