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1日に300㎞超えの移動にもなれ、出雲大社まで来ているので、すぐ近くの【世界遺産・石見銀山】まで足をのばしてみました。日本人には何故石見銀山が世界遺産なのか理解できないと云う話を良く聞きます。『石見銀山遺跡とその文化的景観』で2006年の「記載延期」…落選ではありません…を経て、2007年7月に世界遺産に登録さています。確かに、この辺りの経緯は良く分らないです。ユネスコやイコモスと称する怪しい組織、文化庁の考えには”胡散臭さ”もありますが、『来た・観た・帰る&お土産』の一般的な観光施設からの視点や考えでとは異なる観点からこのお話は始まっているようです。

130803_2130803_3石見銀山を訪れるには、”たてまえ”として交通規制(?)されています。尾根一つ異なる「世界遺産センター」の地区までは自家用車、観光バスで入れ、ここから銀山地区や街並み地区までは路線バスを利用するようになっています。最初に、この「世界遺産センター」でベーシックな部分を学びましょう。館内(有料施設)には鎌倉時代から明治時代に鉱脈が枯渇するまでの銀山の歴史が展示されています。この地で確立された「灰吹法」という銀の精製技術は、世界的に広まっていくのですが…。このセンターにはそんな歴史的な部分が展示されています。しかしながら”万”を超える鉱夫(一説には20万人?)が劣悪な環境のなかで働いていた様子、当時の鉱夫は30歳まで生きられれば長寿と云われていたそうですが、事故や脱走、喧嘩・殺人などは日常茶飯事。これだけの男たちが居れば遊郭や賭場もあったでしょう。このような極々の日常には触れていません。日本から世界への文化伝承についての世界遺産登録にはどうでもいい事のようです。

130803_5130803_6たてまえ的には「世界遺産センター」から路線バスで【銀山地区】の駐車場へ向かいます。…実際はこうではなかったのですが、ここでは書きません…登録から数年をへて一般的観光需要が落ち込み、交通の規制はさらに観光客の凋落をまねくこととなったようです。【銀山地区】では駐車場から左写真のような山道を30分位ほ登ります。間歩(まぼ)と称する銀山遺跡を見るのにトータルで約90分以上は必要となります。石見銀山には600を超える鉱道があるそうですが、通常てきに観光できるのが龍源寺(りゅうげんじまぼ)という昭和18年頃まで採掘されていた最大級の鉱道です。鉱道内は平均15℃で寒い位ですが、歩きやすく整備されています。それでも、山道をヒーヒーしながら登ってきての”これかよっ”感が強いようです。

130803_7130803_8こちらが石見銀山の政治経済の中心地だったとされる【街並み地区】です。ただの田舎町です(!)。遺産登録時は押すな押すなの盛況だったのでしょうか?数件の古民家を有料施設としていますが、なんの価値も見出せません。時代背景にもよりますが、江戸から明治の銀山の採掘はほとんど”強制労働”に近かったと思います。この平和そのものの街並みは、この町が歴史的な役割を退いたことの証でしょう。下の写真の(中)の「旧大森裁判所」の施設が街並み交流センターとして使用されていました。山間の町に裁判所があったなんて、それだけでこの町が大繁栄していたことがわかるのですが…。日本の地方史には大きな事も世界遺産的には意味の薄い事の例だと思います。

石見銀山が「世界遺産」登録事由としたのは、(1)世界的に重要な経済・文化交流を生み出した。 (2)伝統技術による銀生産方式を豊富で良好に残す。 (3)銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示す。によります。日本人が日本の観光地に期待する事とは大きな乖離が見られます。「世界遺産・石見銀山」と大仰にかまえ「行ってみたら何もない」観光地は日本人には受け入れられ難いのです。石見銀山は普通に観光して4時間程度は必要です。旅行会社の企画ツアーでは無理な行程になってしまいます。そして観光ツアーで訪れた人達の多くは「なにもなくて面白みがない」との評価をします。この町が「世界遺産登録」で一気に盛上ってもすぐに凋落傾向になってしまったのも無理ありません。世界遺産登録には剥奪規定が存在します。「世界遺産」という勲章に固執して先細るより、ここに暮らす人達の生活には登録を返上して”普通の観光地”して割り切った方が良いのではないでしょうか?
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