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大津市坂本の天台宗真盛宗の総本山【西教寺】は、末寺の数400寺を有する名刹です。総門をくぐると本殿までの緩い坂道が続き子院が並んでいます。それらの本殿や子院の屋根瓦には「猿の像」が乗っかっています。伝承では1493年坂本の地で一揆が勃発。比叡山の僧兵たちは、西教寺の「真盛上人」の指導者と誤解して寺を襲撃してきました。その時に本堂の鐘を鳴らし急を知らせたのが”手が白い猿”でした。この猿は日吉神社の神のお使いであるとして、比叡山の僧兵達は撤退していったそうです。こんな伝承から屋根の上の猿は”護猿/ござる”と云われています。まもる猿で護猿とは日本語の妙です。元亀元年(1571年)9月には織田信長による比叡山焼討ち事件により西教寺も全山類焼しています。その後、明智光秀公が坂本に居城を築城し、西教寺の大本坊(庫裏・総けやき造り・重要文化財)を造築し坂本一帯の復興に尽力し、天正2年(1574年))仮本堂が完成、本尊の阿弥陀如来(重要文化財)を安置しています。そんな関係から細川ガラシャを含め明智光秀や妻・熙子など明智一族ゆかりの寺となっています。

左)西教寺の総門。灯篭脇の石柱に「明智光秀公と一族の菩提寺」とあります。総門左に駐車場があります。
中)江戸時代1598年(元文4年)完成の本堂です。重要文化財に指定されています。
右)坂本城主、明智日向守光秀とその一族の墓、天正十年六月十四日(一五八二)没、秀岳宗光禅定門とあります。
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