130812_3
伊勢市中之町付近の風景です。今でもやや面影を残していますが、この道は外宮から内宮への旧伊勢参道です。この近辺「古市」の街は1782年(天明2年)頃に栄えた遊郭の街として知られています。最盛期には妓楼70軒、寺3ヶ所、芝居場2軒、遊女約1000人という江戸・吉原、京都・島原と並んで三大遊郭と云われる程の規模だったようです。1734年(安永3年)に遊郭が許可され1915年(大正4年)最後の古市三大妓楼の「備前屋」が廃業、1945年(昭和20年)の空襲で街が灰燼となるまでの230年間以上の歴史がありました。

130812_5130812_4今、歩いてみると街並みも変わりすっかり旧街道の体となっています。道幅も狭く観光バスはちょっと無理でしょうね。写真の施設は「伊勢市立 伊勢古市参宮街道資料館」と云い、古市の歴史館的役割を担っています。館内には古くからの伊勢詣の様子や古市歌舞伎、遊女1000人を擁したという全盛期の古市の資料が展示してあります。施設のパンフに記載があるのですが、『伊勢に行きたい伊勢路がみたい せめて一生に一度でも…』と伊勢音頭に歌われたように、伊勢参りは庶民の夢でした。江戸時代を通して「伊勢参り・おかげ参り」は何度かのブームがあり、最盛期には半年で458万人が参拝に訪れたと云われています。参拝者達は”御師”紹介の宿でご馳走を堪能するとこぞって古市の街へ繰り出し、女達は、多くの歌舞伎役者の登竜門として知られる「伊勢歌舞伎」に心をときめかせ、男達は故郷での質素な暮らしを忘れて美形(?)の遊女達と『精進落とし』と称して、乱痴気騒ぎを楽しんだそうです。川柳に『伊勢参り 大神宮にも ちょっとより』とあるように”はめ”を外した光景が浮かんできます。

130812_1130812_2昔の古市の面影を良く残しているのが、写真の木造6階建の【麻吉旅館】です。創業当初は「花月楼 浅吉/あさきち」として遊女をかかえ、現在でも麻吉旅館として営業しています。いまでも着飾ったお姐さんが手招きしてくる風情があります。色町で男と女がいれば当然トラブルはつきもの…武州(埼玉県)の清水源之丞の詠んだ『古市の古き狐に騙されて、一度は来たが、二度はこんこん、思うてきて思わず、去る者はなし、身代滅ぶに、古市の里』…古き狐=遊女に翻弄されている様子は爆笑もんです。かと思えば、堅物の医者・孫福斎(まごふくいつき)が妓楼「油屋」の16歳のお紺ちゃんに、手ひどく無視されキレた斎は刃傷沙汰の大暴れとなってしまいました。この事件は10日後には松坂で『伊勢音頭菖蒲刀』として芝居となり、70日後には大坂の芝居小屋で歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃』として大評判をとっています。男と女のスキャンダル情報の伝達の速さは驚きです。

伊勢神宮の式年遷都の年でもあり、多くの参拝者や観光客が訪れています。内宮や外宮の荘厳さ感心し、おかげ横丁で美味しい物を食べて…。このような滅びてしまった遊郭のあった街・古市などは訪れる人もいないでしょう。観光ガイドブックに掲載されることすら少ないと思います。『神社仏閣に詣でて、精進落としでパ~ッと…。これが日本人の楽しみ方の根底です』  滅びてしまった遊郭の街・古市は是非とも訪れてみたい街でした…。
130812_6130812_7130812_8