130815_1
諏訪大社~高山~白川郷~天橋立~境港~出雲大社~石見銀山~松江~倉吉~大津~彦根~伊勢神宮~豊川稲荷と続けてきた2013年夏シリーズもこの【岡崎城】で終了です。この岡崎城へは20年ほど前に所要で出かけて以来になります。これがまたなんと整備されたことか(!)驚きました。元々岡崎城は徳川家康生誕の城として知られていますが、家康が生まれたころは松平家(徳川家)は地方の一豪族にすぎず、後世の天守を持つ城郭ではなく「砦」程度のものだったと思われます。

130815_2130815_4江戸時代の岡崎城は家康すなわち「神君出世の城」として崇められ、本多家(康重系)、水野家、松平家、本多家(忠勝系)と、家格は高いが石高は低い「譜代大名」が歴代の城主となっています。城主が本多康紀の時代の元和3年(1617年)に3層3階の天守が造られ、東海道が城下に移さるなど岡崎の街は東海道有数の宿場町として繁栄するに至っています。右の碑は”舟着き場”です。。「五万石でも岡崎さまは、お城下まで舟が着く」という歌にもあるように、昔は帆掛け舟に荷物を積んで菅生川を上がり下がりし、ここで積荷を上げ下ろししたそうです。

130815_3130815_6久々に訪れたこともあるのですが、天守を含む岡崎公園は、いつの間にやらの充実ぶりとなっていました。昭和30年代に「本多康紀」時代の天守台を模して鉄筋コンクリート造りの天守を再建して、内部は資料館になっていますが、今でも他の再建城郭資料館に比べても見劣りすることはありません。公園駐車場側には「大手門」が再建されていたり、「三河武士のやかた家康館」などという資料館も造られていました。この公園は10㌶以上の広さがあり、江戸時代でも五万石の大名家にしては大きな城郭だったようです。これだけの敷地を公園として残した岡崎市はさぞ大変だったことでしょう。左の写真は2年ほど前に完成した徳川四天王の『本多平八郎忠勝』の銅像です。座像姿で、柄が6mもあったと云われるトレードマークの長槍「蜻蛉切」を携えています。誰の作かは知りませんが肖像画とは似ていません。こちらはまだ許せるのですが、右は天守にあった記念写真のボードで、家康の隣の黒い甲冑が本多忠勝だそうです。あまり愉快なものではありません。

左)天守台隣の龍城神社です。祀神は徳川家康と本多忠勝です。「鬼の本多」も神様になっていたとは…。
中)徳川家康の象です。晩年の姿になっています。駿府城公園の家康もこんな感じでした。
右)この公園もご多分の漏れず野良猫が多いようです。看板の絵が妙にかわいく書かれていますが…。
130815_8130815_5130815_7