130920_01130920_02中央区役所には「中央区ふれあい街歩きマップ」という小冊子(全6冊)が用意されています(配布場所は中央区役所商工観光課・中央区の主要ホテル等となっています)。
今回は「月島・勝どき・佃・晴海編」が中心となります。勝鬨橋の築地側は明治以降は旧海軍の街として知られ、橋の名称の“かちどき”も日露戦争時の旅順要塞陥落記念として命名された「勝鬨の渡し」に由来します。勝鬨橋の工事は1933年着工事し1940年に完成しています。当時、月島地区で予定されていた「万国博覧会」の交通の利便を目的として、日本の技術力を世界に示すため、日本人の手で設計施工を行っています。完成した勝鬨橋は「東洋一の可動橋」と呼ばれ、開閉は設置当初1日5回程度で跳開しいました。当初から路面電車レールが敷設かれ1968年までは都電が通行していました。時代ともに流通形態が変り、船舶通航量が減少し道路交通量が増大したことで跳開する回数は減少し、1970年11月に開閉が停止となり『開かずの開閉橋』となってしまいました。時間帯によっては日常的の大混雑する「晴海通り」ですが、オリンピックに向けてどう変貌していくのでしょうか(?)

130921_01130921_02 約100年前の明治の中ごろに埋立により開発された町が「月島」です。運河に囲まれて下町情緒の溢れる街並みがある一方で、都市再開発が進み、最近では高層マンションが林立するようになりました。地下鉄「有楽町線」と「大江戸線」開通はこの街を”陸の孤島”劇的に変化させました。「月島」の地名を全国区にしたのが「もんじゃ焼き」です。国内外を問わず「懐かしい下町の味と雰囲気」を求め多くの人々が訪れ、最近では就学旅行の昼食に「月島でもんじゃを食べる」という学校も増えているそうです。「月島もんじゃストリート」を掲げる月島西仲通り商店街には、古くからのお店や流行に便乗した新参者など70軒以上のもんじゃ焼き屋が軒を連ねています。ご親切な事に現存する最古の交番の建物を使用した「西仲通地域安全センター」や東京メトロ・月島駅よりには土産用もんじゃを販売している「月島もんじゃ振興会」などで観光情報を得ることができます。

130922_01130922_02『佃』の風景と云えばこんな感じでしょう(左)。隅田川の河口の江戸情緒を残すレトロな街とリバーシティ21の高層マンション群。古い町並みや釣り船と超高層マンション群。独特の景観が本来はミスマッチのはずなのですが…。『佃』は、天正18年(1590年)徳川家康が関東に下降の際、摂津国佃村から漁民を呼び、鉄砲州向干潟を埋め立てさせて、この地に住まわせたことに始まり、故郷にちなんで「佃島」と名付けられました。元々佃島は”独立した島”だったようですが、現在の町名表記の佃1丁目・佃2丁目北部は、佃島と石川島の継承しています。昭和初期からの古い街並みが残っており、民家と民家の間の路地には何とも風情のある光景が見られます。