130923_01130923_02中央区に限らず、東京には江戸時代の大名や旗本のお屋敷の片隅に祀られていた稲荷社などが、壊すに壊せず今に残ってしまった”激セマ社”が多く残っています。という事で、規模小の社も昨今は見慣れてはきているのですが…。こちらの『佃天台地蔵尊』には驚かされます。(写真左)民家と民家の間に、人一人がやっと通れそうな路地があります。佃天台地蔵尊の旗があり、看板にはその旨が記載されています。屋根の上を見るとこんもりとした銀杏の巨木が見えます。この路地を進むと左側の空間に石に刻まれた地蔵尊が安置されています(写真右、左奥)。驚くのは中央の銀杏の木が突き抜けて屋根上へと伸びています。表から見える銀杏の巨木の根元はこんなようになっています。『佃天台地蔵尊』の創建の年代は”享保年間”とあるのですが、なんだってこんな状態になってしまったのでしょうか?

130924_01130924_02住吉神社(すみよしじんじゃ)は、徳川家康が関東下降の際、大坂佃村近辺の漁夫33人と神主を江戸に移し、この地に幕府より約180m四方の干潟を与えられ、これを埋め立てて暮らすようになったのが始まりです。この島を故郷の摂津国佃村にちなんで「佃」と命名し、正保3年には、住吉三神(底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命)、息長足姫命(神功皇后)、東照御親命(あずまてるみおやのみこと、徳川家康)を祀神とした『住吉神社』が創建されています。住吉神社祭礼では、関東では珍しい「八角形神輿」が使われています。境内の鳥居には、これも珍しい「陶製の扁額」…文字は有栖川宮幟仁親王の筆による…があります。目立たないのですが、「手水舎」の梁の部分には佃島に漁の模様(?)の彫刻されています。
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佃の住吉神社付近にはあまり大きくはないのですが、稲荷社が4社あります。
左)佃天台地蔵尊近く、鳥居は1つですが、中には「浪除稲荷大明神」と「於咲稲荷大明神」の2社があります。
中)「森稲荷神社」です。大阪から移住してきた一族の長「森孫右衛門」邸内に祀られていた稲荷社だそうです。
右)住吉神社境内社の「入舩稲荷神社」です。前述の「八角神輿」はこのお隣の蔵に納められています。
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