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中央区・亀島橋の橋詰に”記念碑”が纏って建立されている一角があります。1)江戸時代の謎の浮世絵師『東洲斎写楽』の碑…天明・寛政年間に数か月の間に140点程の浮世絵を残し姿を消した『東洲斎写楽』がこの付近に住んでいたとの説の基づいての建立でしょう。2)枝が写っていませんが『銀座の柳四世』…ルパン三世じゃあるまいし、コメントに困ってしまいます。3)松尾芭蕉の句碑。…元禄6年に八丁堀にて詠んだ「菊の花 咲くや石屋の石の間」…芭蕉50歳の作品だそうです。”イマイチ感”に溢れた記念碑群のようです。
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131005_02131005_03亀島橋の川沿いに『純子稲荷神社』です。由緒書きによると…徳川氏入国後、町奉行所内の千代田稲荷の分霊を勧請し、岡崎町・亀島町の2カ町、組屋敷に居住せる与力同心の鎮守であったが、維新の際、純子稲荷一柱を届け出て以来町内鎮守となったとあり、鎮座は元和2年(若しくは元文2年)再建立が昭和48年となっています…。???の多い由緒書きです。江戸切絵図にはすでに「純子イナリ」と書かれているそうなので古社には間違いようです。祀神は伏見稲荷大社・豊受大神・神名純子大神とあるのですが、この「純子大神」がどういった神様なのか定かには判りません。
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131005_04131005_05純子稲荷神社を高橋方面に進むと、駐車場の一角のような感じで『日比谷稲荷神社』があります。元々の日比谷稲荷神社は、太田道灌により現在の日比谷公園あたりに建てられていました。徳川家康による江戸城の大拡張工事の際には、新橋4丁目(更に東新橋2丁目)に移転しています。度々の移転に際しても、どうしても海岸に神社が祀られないと困る崇敬者達が八丁堀の干潟を埋築し社殿を造営したのが、この日比谷稲荷神社です。昔は虫歯に苦しむ人が”鯖絶ち”をして、日比谷神社に祈って、治癒のお礼詣りに「鯖」を供えした人が多く、そこから「さばいなり」とも呼ばれ、鯖の絵馬、扁額が社殿に多く掲げられるようになったそうです。虫歯痛→サバ絶&日比谷稲荷参拝→虫歯痛解消。稲荷神社もいろいろと大変です。