131223_04131223_03神社伝承によると「調神社」の創建は開化天皇3年とあるそうです。神社名称の『調』は律令制時代の税体系、『租・庸・調』の『調』によります。伊勢神宮に納める米等の貢物(『調』)を武蔵・上総・下総・安房・上野・下野の関東一円から集積し納めた倉庫があったことによります。これら集積された『調』は神社敷地内から容易に運びさせるよう「鳥居」や「門」が神社から取り払われたと伝えられています。旧社格は「県社」となっていますが、平安時代の『延喜式』には「武蔵国・足立郡・調神社」と記載があり、神社に歴史としてはかなり古いようです。左の2本の石柱には「調神社参拝口」の幕fがありますが、前記のようにこれは鳥居ではなく通常は注連縄がわたされています。この入口が旧の中仙道に面しており、昔は浦和宿の入口あたりに位置しています。

131223_01131223_02妙に新しくなってしまいましたが、こちらが例の「うさぎ」です。確かにうさぎが神使とは全国的にも珍しいと思います。名称からして”調神社(つきじんじゃ)”が正式名称らしいのですが、浦和市在住の人は『調宮/つきのみや』と呼んでおり、そちらの社名の方がしっくりきます。数年前の「兎年」にうさぎの縁のある神社としてテレビで紹介されたのが全国区になったきっかけのような気がします。もともとは「調」が「月」と同じ読みをすることから、「月待信仰」と結びつき、月神の使いとされる兎の彫刻が狛犬の代わりに境内入口両側に置かれたようです。…地元の人間でも納得できない伝承ですが、民間伝承などそんなモンです…。追記)この狛兎は152年振りの新装だそうです。

131223_06131223_05左が本殿です。ご祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)・豊宇気毘賣神(とようけひめのかみ)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)とお馴染みの神様です。浦和から数キロしか離れていない大宮には武蔵野国一之宮であり埼玉県近郊の約200社の総本社である『氷川神社』が鎮座しています。主祭神は須佐之男命 (すさのおのみこと)・稲田姫命 (いなだひめのみこと)・大己貴命 (おおなむちのみこと)で”すさのう神”がかぶっています。氷川神社の方が創建が古く、出雲より来られた人々によります。出雲系の人々の地に伊勢系の神社とは…。伝承は複雑怪奇の体をなしてきました。

131223_09131223_10こちらは境内摂社です。左は「稲荷」なのですが”なになに稲荷”と名称がありません。じつはこの稲荷社の社が旧調神社の本殿を流用しており見事な兎の彫刻がなされていました。ごらんの様に現在は工事中となっています。完成予定も改築なのか復修工事なのか定かには分りません。右は八幡さまと金毘羅さんが並んでいます。八幡さま良いとしても、金毘羅さんの祭神は「大物主命」で出雲系の神様です。つまりは伊勢系祭神の摂社に出雲系があるという事になります。考えすぎなのは現代の我々だけで、昔の人達はもっと大らかだったのでしょうねっ。

旧中山道から摂社への参道です。こちらには「鳥居」があります。
中&右は以前のうさぎの姿です。積年風化と修繕でうさぎの原型がかなり失われています。
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