140106_01
【東京十社】の武蔵一宮 大宮・氷川神社です。上の写真は「JRさいたま新都心」近くの「一の鳥居」です。ここから本殿までは「氷川参道」と呼ばれる、約2kmほどの表参道が続きます。元々はこの参道が中仙道だったのですが神社の参道を街道とするのがはばかられるとのことから中仙道はルートを変えています。東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社であり、他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」と呼ばれます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
140106_02140106_03「二の鳥居」・「三の鳥居」と過ぎ、神池の橋を渡ると色鮮やかな写真左の『楼門』、更には『拝殿』・『本殿』となります。ご祀神は須佐之男命 (すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)・大己貴命 (おおなむちのみこと)の三柱で、出雲系の神様です。そうしてみると、こ大宮一帯は大和朝廷との戦争に敗れて故郷を追われた出雲の人達が移り住んだ場所であったとの説もしっくりくるようです。神話の世界では、高天原を追放され出雲の地でヤマタノオロチを退治したスサノウはクシナダヒメと結ばれ「須賀の地」で暮らしたとされます。この須賀の地と関わり合いのある出雲系の人々が遠く「武蔵国」に定着し、故郷の神々を祀ったのがお話としては自然なような気がします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
140106_04140106_05ここからが今回の主題となります。拝殿/本殿に向かって右側の「東門」を出ると、由緒書もない摂社(末社)が2社並んでいます。右は『御嶽神社』で左は『門客人神社』とあります。この門客人神社は稲田姫命(いなだひめのみこと)の両親を祀るとされているのですが、かなり以前には違う神様が祀られていました。どうやら出雲の須賀の地を追われた人達が武蔵の国までたどり着き、この地に定着する際に元からこの地に暮らす人達と争って勝利して元々の神様を追い出してしまったようです。日本人は戦争で争った相手を徹底的に滅ぼすことをしてこなかった民族です。祟りが怖いからので「門客人神社」でお祀りするも、崇敬されるのは都合が悪いので説明もなし…。こんなところなんでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
左)神社敷地の配置図です。神社後方の公園まで含めるとともかく広大な神社です。
中)案内図には「●●稲荷」との名称はなく”稲荷神社”としか記載がありません。が、不思議な構造をしています。
右)さや堂(?)の柱は、良く見ると鳥居の形式で「社額」が付けられています。この形式は見た事がありません。
140106_06140106_07140106_08