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天守台の眼下には本丸御殿跡が広がります。江戸城天守は、1606年に着工され2度の改築を経て1640年に完成しています。以後焼失と再建を繰り返し1863年の明暦の大火以降は天守台は再建されることはありませんでした。ですから暴れん坊将軍(8代将軍吉宗)の時代には天守閣はある訳ありません。ここから中雀門にかけてびっしりと御殿が密集していたことになります。御殿は書院造になっており、最初に「表」と称する将軍への謁見や公式の儀式、政務を行う場所で幕府の中央政庁としての役割の区画があり、続いての「中奥」。将軍が日常起居したり政務をみたりする公邸がありました。弘化2年(1845年)造営の御殿では「表」と「中奥」を合わせて約1万8194㎡あったそうです。さらに現在の書陵部から楽部の庁舎にかけての地域には、最盛時には数百人の女中が居住していた約2万4520㎡とも云われる広大な「大奥」の敷地がありました。
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左)この近辺が”パワースポット”なんだそうですが…。意味するところが判りません。
中)天守閣再建の命を受けた前田藩は、遠く四国から石を運んできました。なので”石の色”が異なります。
右)正面は雅楽のコンサートホールで、樹木の影には宮内庁の雅楽練習場があります。
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