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2009年から5年間(!)修復状態だった『上野東照宮』が何時の間にやら工事が完了して一般に公開されておりました(笑)。長いこと東照宮の絵を描いた目隠し幕で覆われていたのですが、春のぼたん苑の開園時期に合わせたのでしょうか、本当に”いつの間にやら”という感じです。修復前は朱塗りの建物だったような記憶があるのですが蘇った東照宮は俗称「金色殿」の復活に相応しい仕上げになっています。
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140501_04140501_03「東照宮」といえば日光東照宮、久能山東照宮が有名ですが、港区・芝、台東区・浅草、埼玉・川越をはじめ全国各地に数多く存在します。上野東照宮のご祀神は徳川家康(東照大権現)・8代将軍徳川吉宗・15代将軍徳川慶喜となっていますが、何故に慶喜が祀神なのかは疑問があります。『上野東照宮』は1616年2月静岡駿府城で危篤状であった徳川家康が病床に居合わせた幕府顧問で上野寛永寺の開祖天海僧正と大名の藤堂高虎に”3人1つ所”に末永く魂鎮まるところを作ってほしいといの遺言を残し、藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営したとされます。都内、芝・東照宮はこじんまりと、浅草・東照宮は浅草寺”二天門”以外は殆どが消滅しています。そういう意味では貴重な東照宮とも云えます。
写真=左は社殿から唐門方向です(社殿には上がれません)。右は拝殿、幣殿、本殿からなる権現造りです。
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140501_06140501_05現存する社殿は、1651年に3代将軍・徳川家光(爺ちゃん大好)が造営替えをしたもので、金箔をふんだんに使い、日光東照宮といい勝負の豪華絢爛の造作で「金色殿」とも呼ばれたそうです。 当時は東叡山寛永寺の一部でしたが、第2次大戦後の神仏分離令により寛永寺から独立しています。戦争や震災などの災害で一度も倒壊することなく、江戸の面影をそのまま現在に残す貴重な文化財建造物です。 写真は左)は唐門を表側から、左)は社殿側からです。唐門の柱には”左甚五郎”作の「昇り龍・降り龍」の彫刻があります。これはこれで良いのでしょうが…。細部までの塗装の色合いや修復具合は、埼玉・妻沼聖天様に比べると疑問点が多々あります。あちらは「国宝」でこちらは「重要文化財」の差なのでしょうかねぇ。
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140501_08140501_09社殿脇の回廊に『栄誉大権現』が祀られています。『栄誉大権現』は「お狸様」「夢見狸」と呼ばれ、江戸時代に江戸城大奥で大暴れして追放され、その後も安置された大名、旗本諸家を潰した四国八百八狸の総帥の大悪狸で、大正年間に東照宮に奉献されてから災いがなくなったという伝承があります。 現在では”他を抜く狸”という縁起から強運開祖の受験の神様として信仰されています。 とあるのですが…修復期間中はこちらへも立ち入れませんでした。付近には『五条天神社』・『上野大仏』と受験の神様や古社の『花園稲荷』もあります。「お狸様」もうかうかしてられません。それにしても、大奥で大暴れとは…何をやらかしたのでしょうか?
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左)1633年(寛永10年)酒井忠世建築奉納の備前御影石の鳥居。国指定の重要文化財です。
中)社殿の建築の年(1651年)に全国の諸大名より奉納された石灯篭が200基以上並んでいます。
右)幹の太さが8mを超える上野公園一の「大楠」。樹齢600年以上の上野の祖木といわれる御神木です。
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