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台東区寿町に本法寺(ほんぽうじ)という日蓮宗のお寺があります。…昭和10年代日本は国をあげて戦争状態へと向かっていました。政府から「時局に合わない不真面目なことはいかん」との命令により自粛が求められた落語界では多くの噺(演目)をこの本法寺の『はなし塚』に葬ってしまいました。…
ということで、このはなし塚を見にいったのですが、本法寺には面白く謎深い”モノ”が数多くありました。
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140509_03140509_04左が「はなし塚」の由来です。封印された”不真面目”は噺とは、遊郭・妾・不義・好色に関連した噺53の演目だったそうです。江戸文芸の名作、明烏・五人廻し・木乃伊取りなどが高座では聞くことができなくなってしまい、この噺を得意にしている噺家はさぞや困ったことでしょう。”重大時局で国民の滅死奉公”を政府が要求していた時代ですから、当然だったのかも知れませんが…。昭和16年10月31日に当時の講談落語協会の方々が発起人となり、本法寺の境内に「はなし塚」を建立、53種の禁止演目の台本を納めています。この”自粛”は第2次世界大戦の終結後、昭和21年9月まで続いたそうです。この「はなし塚」は、台東区文化財の史蹟して台東区教育委員会製作の案内板も立てられています。
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140509_05140509_06左が「長瀧山・本法寺」のご案内です。開山から現在の地に移るまでの歴史が書かれています。面白いのは「熊谷稲荷の由来」とあるのですが、確かに山門の石柱は右が「本法寺」で左が「熊谷稲荷」とあります。が、左には稲荷社らしき鳥居もきつね氏もおりません。Pt右が「熊谷稲荷」と思われます。本法寺HPによると…『この稲荷は、江戸中期に熊谷安左衛門が勧請した稲荷で、数ある稲荷とちがって、白狐を祀った稲荷で、江戸浅草の熊谷安左衛門の墓所のある本法寺と、青森弘前の津軽藩公が祀った二ヶ所だけの、極めて珍しい稲荷です。もう一ヶ所の津軽の熊谷稲荷は、藩公が江戸へ参勤交代のさい、白狐があらわれて、不思議な霊験があったことで知られています。狐(きつね)にもさまざまな稲荷の神として種類があり、そのなかで人間に福徳を分かつ福狐(ふっこ)、つまり白狐(ぴやっこ)だけが、稲荷明神の御脊属(けんぞく)[侍者、従者、随伴者、取り巻きの者]に選ばれる資格があるといわれています。しかも白狐は一種の霊体であって、通俗の人間には姿を見せず、稲荷信仰のあつい人に対してだけ、その正体を現わすといわれています。江戸時代から巷間に熊谷稲荷の信者が多く、門前は人で賑わっており、熊谷稲荷がいかに栄えていたかが覗えます。(略)』…とあります。という事は、神道系(倉稲魂神)の伏見系でも仏教系(ダキニ天)の豊川稲荷系でもないという事でしょうか?。
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「はなし塚」の関連なのでしょうね。正門右側の玉石垣の塀は各放送局、落語協会や落語家、芸人達が奉納したものです。日本放送協会・ラジオ東京・日本文化放送・ニッポン放送や本牧亭・末廣亭等の寄席、伊豆栄(鰻や?)の名前も見えます
右は「吉見稲荷」です(熊谷稲荷とは違います)。所謂”町稲荷”のようで変遷をへてこの場所にあるようです。
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