140528_01140528_02日本橋人形町近辺は、以前は日本橋区と称し中央区に統合される際に”日本橋”の名前が消えないように現在でも○○町の頭に日本橋が付く名称が多くあります。誰だって生まれ育った街の名前が変わってしまうのは気分の良いものではありません。特に人形町あたりは江戸時代は遊郭で知られた吉原(日本堤へ移転する前の)があった場所で、更には天保の改革で浅草猿楽町へ移転させられる前の芝居小屋のあった場所でもあり、江戸有数の繁華街であった街です。いまでも銀座あたりとは違った雰囲気があります。甘酒横丁には老舗に店舗や飲食店が並んでいて、「人形町・亀井堂」の総理大臣のイラスト入りせんべいは、国会議事堂の売店でも売られています。関西圏の人にはなんとなくインチキ臭くうつっているのが残念ですが…。
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140528_03140528_04日本橋人形町の末廣神社です。ご祀神は『宇賀之美多摩命』とあり稲荷神の【古事記名:宇迦之御魂神】・【日本書記名:倉稲魂尊】と同一です。江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)がこの地にあった元和3年~明暦3年までの間、信仰されていた神社で、明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されたといいます。社号の起源は、延宝3年社殿修復のさい年経た中啓(扇)が発見されたので氏子の人達が悦び祝って末廣の二字を冠したものです。(Pt右の掲示にあります)現在では日本橋七福神の「毘沙門天」となっているのですが、写真のように建物の谷間で見逃してしまうような場所にあります。神社前がゴミの集積所となっていて、どう絵を切り取っても神社全体を写すとゴミ箱が写ってしまうという残念な写真になってしまいました。
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140528_05140528_06続いては、中央区日本橋浜町の笠間稲荷神社です。日本三大稲荷(!)のひとつ茨城県笠間稲荷神社の東京別社で、江戸時代末期に笠間藩主牧野貞直公が笠間より分霊をして建立されたといいます。境内末社には本殿に向かって左側に日本橋七福神の”寿老神”が祀られています。茨城県笠間市の「笠間稲荷神社」は別称:胡桃下稲荷or紋三郎稲荷とも呼ばれ「日本三大稲荷」と称されるのですが…。この三大稲荷は1)笠間・伏見・祐徳稲荷グループと2)豊川・伏見・祐徳稲荷グループの二つの説があり、さらには「日本五代稲荷」なんていうのもあります(苦笑)。
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140528_07140528_08中央区日本橋人形町2丁目の松島神社です。こちらも路地裏&ビル内という見落とし安い神社さんです。日本橋七福神では「大黒神」が祀られ、別称は「大鳥神社」とも称するそうです。失礼ではありますが、由緒書きによると規模の割にはご祀神が多く…稲荷大神、伊邪那岐大神、日前大神(天照大神)、北野大神(菅原道真公)、手置帆負神、彦狭知神、淡島大神、八幡大神、猿田彦神、琴平大神、天日鷲神(大鳥大神)、大宮能売神(おかめさま)、大国主神(だいこくさま)…の神様達が記載されています。江戸・明暦の大火以前は、神社周囲は歓楽街であり、人形細工職人・呉服商人・歌舞伎役者・芸妓などの参拝が盛んであったそうなので、神様の範囲も幅広くなったのでしょうか…?
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140528_09140528_10中央区日本橋人形町1丁目の茶ノ木神社。ご祀神は「倉稲魂大神」で、日本橋七福神では「布袋尊」が祀られています。境内掲示による神社の由緒には…「お茶ノ木様」と町内の人々に親しまれている茶ノ木神社の御祭神は倉稲魂大神(ウカノミタマノオオカミ)で伏見系の稲荷様である。昔この土地は徳川時代約3000坪に及ぶ下総佐倉の城主大老掘田家の中屋敷であって、この神社はその守護神として祀られたものである。社の周囲にめぐらされた土堤芝の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植え込まれ、茶と茶の木の緑が見事であたっと伝えられている。その中屋敷は勿論のこと周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、いつのころから誰と言うとなく火伏の神と崇められ、堀田家では年1回初午祭の当日だけ開門して一般の参拝を自由にされた由「お茶ノ木様」の愛称で町の評判も相当であったと伝えられている。(以下略)…とあります。