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土地勘はなかったのですが、データでは新潟駅から秋田駅まで直行で280km。これなら楽勝と思ったのですが、予想な事になって、結果480kmも走行する羽目になってしまいました。新潟駅を出発して150km・3時間で山形県鶴岡市です。鶴岡市は江戸時代は庄内藩(鶴岡藩)の城下町として栄えた街です。Ptの致道博物館(ちどうはくぶつかん)には、庄内藩校で使用されていた品々や庄内地方の農業・漁業の資料が展示されています。近隣から移設した建造物も保存してあり見所に溢れた街です。写真の【旧西田川郡役所】はよく知られていますね。
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140707_02140707_03 昭和25年(1950)、旧庄内藩主酒井氏より土地、建物や酒井家文化財などが寄附され財団設立されました。この後、昭和32年(1957)年より【致道博物館】として運営されています。致道博物館は、旧鶴ヶ岡城の三の丸にあたり、庄内藩の御用屋敷地で広壮な屋敷があった場所です。藩主の隠居所である「御隠殿」の一部は現存しており、屋敷からは国指定名勝の書院庭園「酒井氏庭園」を望むことができます。入園料は¥700(大人)とやや高めです。園内には御隠殿・酒井氏庭園やPtの明治天皇の東北巡幸の際に宿舎となった旧西田川郡役所、一重三階寄棟造茅葺きの民家を移築した旧渋谷家住宅。庄内地方の米づくり用具や漁業道具を収蔵した建物があります。残念ながら重要文化財・旧鶴岡警察署庁舎は解体修復工事中でした。
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140707_04140707_05「致道博物館」から徒歩5分ほど。鶴岡公園にある大正時代建築の【大寶館/たいほうかん】という洋館です。山形の田舎になどと言ってはいけません(笑)。元々は大正天皇の即位を記念して創建され、大正4年(1915)10月に完成、11月10日の即位の日に開館、物産陳列場や図書館などとして使用されました。大寶館の大寶とは、易経の「天子の位を大寶という」よりとられています。…このあたり”気が付けと”といっても無理でしょう(苦笑)。…オランダバロック風を思わせる窓とルネッサンス風のドームをのせた様式で、赤い尖塔屋根と白亜の殿堂として大正建築の優美さが内部を含めて完全に原型を留めている…とありますが”風格ある大正建築”で良いでしょう。入館は無料でした。
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140707_06_140707_07大寶館の奥に【荘内神社/しょうないじんじゃ】です。庄内ではなく荘内です。庄内藩の居城であった鶴ヶ城の本丸跡に鎮座しています。ご祀神は、庄内藩主酒井家の4人の殿様、酒井忠次、酒井家次、酒井忠勝、酒井忠徳公で、明治10年(1877)に庄内地方の人々により創建されています。このような例は全国的にも稀有な事と言ってもよいでしょう。江戸から明治へと時代が変わり、政治の様も変わってしまいます。それでもなお旧藩主を慕いご祀神として受け継がれていく…。いい話です(!)。創建から120年越を経ても、庄内地方の人達に「神社はん」の愛称で親しまれている神社です。
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140707_08140707_09時間の関係でもう一つだけ訪れたのが、江戸時代の庄内藩の藩校【致道館/ちどうかん】です。文化2年(1805)7代目藩主・酒井忠徳公により創設された学問所で、8代目酒井忠器公により鶴ヶ城三の丸(現在の場所)へ移されています。東北地方にはこのような学問所跡は残っておらず昭和47年(1972)に復元が完了、国指定史跡として公開(無料)されています。表御門、聖廟、講堂、御入間など、質実剛健な教育文化の風土の礎であった事でしょう。江戸時代では学問が盛んなのは必ずしも中央(江戸)ばかりではなく、地方の藩主も競って優れた人材を養成する藩校を創設していました。とは云うものの、孔子を祀る御廟があるように儒教を主とした素読の勉強なので、現代の様な教育課程とは異なります。