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少しばかり浅草寺から離れますが…。浅草寺の東側の門「二天門」を背にして隅田川方面に歩くと「台東区産業貿易センター」に隣接して「花川戸公園」があります。台東区産業貿易センター駐車場は浅草寺周辺では貴重な大型の観光バス駐車場なのですが、昨今の観光バスは車高が高くなり多くの車輛が入庫できなくなってしまいました。そんな事での改装工事なのでしょうか(?)。今日も多くの一般観光ツアー客がこの付近でバスを降りて徒歩で浅草寺に向かっていきます。
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140818_02140818_03この花川戸公園内にある「姥ヶ池」は、池が明治24年に埋め立てられるまでは隅田川まで繋がる大きな池だったそうです。この姥ヶ池には、浅草寺の子院・妙音院の伝承によると、とんでもなく恐ろしいお話が残っています。…【この周辺が浅芽ヶ原(あさじがはら)と呼ばれていた頃、老女と若い娘が住んでいました。娘が旅人に宿を貸すと言って家に連れ込み、深夜になると老女が旅人を殺し金品を剥ぎ取ってしまう、といった手口で殺害れた旅人は都合999人におよび、記念すべき1000人目にこの家に泊まったのは、なんと観音様が変装した若者でした。老女はいつものように深夜にこの若者を殺して…のはずだったのが殺害したのは自分の娘。嘆き悲しみ悪行を悔やんだ老婆はこのとき仏眼を目覚め、自らを龍の姿に変えて「姥ヶ池」の中に消えて行った】…というのがこの池に伝わる伝説です。この伝説はオリジナルなんでしょうかねぇ?どこかで聞いたようなお話が混ぜ混ぜになっているような気がします。Pt右の池が龍になって消えて行った池なのですが…。祀られているのは弁天様のようですが「福寿稲荷大明神」とあります。
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140818_04140818_05位置的には「姥ヶ池」の反対側になりますが、こちらは「嬉の森稲荷神社」です。”うれしのもり”とはなんとも語感の良い神社です。案内板によれば…【嬉の森稲荷は、江戸時代、浅草三大池といわれた花川戸近辺の達磨池のそばの嬉の森に祀られていた。嬉の森は、(略)一説に入り江に面した花川戸のこの森が、船の着くための目標となったことから、この名が起こったものであろうとされている。(略)嬉の森稲荷は、関東大震災に消失を免れ、また昭和20年3月の東京空襲の戦火も免れたという。嬉の森稲荷は火伏の神として信仰され、4月の2の午の日には、近隣人たちによって祭礼の伝統が受け継がれている。】…とあります。地元の方によると、この4月の祭礼時に開かれる社殿の内部の狐関連の造作が施されており、それもかなりに傷みが生じてしまっているようです。