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谷中墓地の徳川15代将軍・徳川慶喜公の墓所です。徳川15代将軍の内、初代の家康公と慶喜公は神式での葬儀のためお墓の形も神式になっています。一般的には徳川慶喜公の「慶喜」は「けいき」もしくは「よしのぶ」とされていますが、実はこれで「よしひさ」と読むのが正しいようです。世継として生まれ幼くしては「若」で長じては「殿」や「上様」と呼ばれ、読み方などどうでも良かったのでしょう。正面左が慶喜公。右が2歳年上の正室・美賀子夫人の墓です。慶喜公は一条忠香の娘・千代姫と婚約していたのですが、千代姫が病に侵され婚約解消。身代わりに美賀子夫人が一条忠香の養女となって輿入れしています。目立たないのですが、慶喜公の墓の真後ろに仲良く並べられている墓標は新村信子と中根幸子のお二人の側室の墓です。慶喜公は意外に子沢山で21名(24名とも)の子供に恵まれています。30歳で将軍就任、11ヶ月後に政権を放り出して32歳から75歳で亡くなるまでの隠匿生活となると時間は充分あったのでしょう。
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Pt↓左)中央の碑は”徳川慶喜公事蹟顕彰碑”で漢字とカタカナでモロモロが書かれています。
Pt↓中)霊園には猫はつきもの…。谷中霊園にも多くの猫達がいますが、毛皮はこう暑いと大変でしょう(笑)
Pt↓右)上野寛永寺の根本中堂の裏手に慶喜公ゆかりの場所があります。塀の中なので覗けません。
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