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毎年、毎回デタラメな歴史観を繰り広げる「NHK大河ドラマ」の今年の主人公は吉田寅次郎。それも妹のお話だそうです。そんなんでも世田谷・松陰神社が大そう賑わうのかも知れません(苦笑)。 この松陰神社ほど突っ込み処に溢れる神社もそうはありませんよ。…吉田松陰(松陰神社)は、国の進路は開国と決まったのに、無理に喧嘩を吹っかけて国を奪っていった連中が自分らの拠り所にするための”神様とその神殿”というところなのでしょう。 ”吉田寅次郎(松陰)=松下村塾=維新の元勲の育成”として語られますが、寅さんが関わったのは1857年11月から投獄されるまでのほんの1年にすぎず、教えを受けた門弟といっても、当時、久坂玄瑞(17歳)・高杉晋作(18歳)…この二人は士分ですが…伊藤俊輔(博文・16歳)と山県小助(有朋・19歳)に至っては、最々下層足軽の子供です。この二人については、有能な先輩達”一流が皆死んで、残った二流が権力にしがみついた”とはよくいったものです。寅次郎先生にしたって、藩から睨まれて幽閉状態にあり、1年後には挙動不審で逮捕&江戸送り。更には余計な事を喋って斬首の刑(29歳)つまりは長州藩の厄介者になってしまいました。 この神社の場所は、長州藩の別邸があり、斬首された4年後に高杉晋作らにより回向院から改葬されたとありますが、このあたり怪しいですね(苦笑) 松陰神社として創建されたのも1882年。先生の斬首から実に23年後です。
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教科書等の吉田松陰の画は妙に老けていますが、29歳没ですからこの像の感じだったのでしょう…。
遺体が返されたという事は、斬首でも『下手人』と呼ばれる最も穏やかな死刑です。つまりは、とても極悪人とよべるような罪人ではありません。
こちらでは「吉田松陰」呼び捨てはよろしくないようです。あくまで『吉田松陰先生』なのです(苦笑)。
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