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文京区弥生の"言問い通り"沿いに「弥生式土器ゆかりの地」という碑があります。日本史に登場する縄文・弥生時代の”弥生”なのですが、この碑は”発見場所”ではなく”ゆかりの地”となっています。1884年(明治17年)に東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂鉊蔵の3人がこの付近の貝塚から「壺」を発見しました。壺は縄文式土器と異なる様式で、発見場所の地名をとり「弥生式土器」と名付けられました。ここまでは良かったのですが…。都市化が進むとともに正確な発掘場所がわからなくなってしまったのです。1974年(昭和49年)には大学構内で弥生式土器等が見つかり、1976年(昭和51年)に「弥生二丁目遺跡」として国の史跡に指定されるなどその重要性が認識されていますが、1884年当時はどうでも良かったのでしょうかねぇ。貝塚があるくらいですから、古代でも人口が多かった土地なので”エイヤッこの辺”でもいいのでしょうが、苦肉の策での「ゆかりの地の碑」なのでしょう…。
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↓左)碑の裏面ですが立ち入れないので読むことができません。 ↓中)弥生町の町名の由来が書いてありますが弥生式土器とは関係ないでしょう。
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