日本最初の銅像は、明治13年(1880)に金沢・兼六園に建てられた『倭建命(やまとたけるのみこと)』の銅像です。この銅像は「明治紀念之標」として、西南戦争で戦士した石川県人の慰霊のために、高岡銅器の鋳造技術で造られています。高さ約5.5m、台座が約7.5mとあり、かなり巨大です。この2年後あたりから東京でも数多くの銅像が造られ、あるものは場所が移動し、あるものは鋳つぶされ、あるものは現存しています。
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150502_02150502_01【大村益次郎】…靖國神社の参道に立つ、この銅像は東京で最古の銅像との事です。明治18年、日本陸軍の父であり、東京招魂社/靖國神社の献策者でもある長州(周防)出身の大村益次郎の慰霊祭の席で銅像の建設が発案され、大熊氏広により明治23年に着工、24年に完成。26年に除幕式が行われています。台座の高さは約9.7mあり。上野の彰義隊戦争(虐殺戦争)の様子を遠望している図だそうです。「火吹きダルマ」というあだ名のように”ブサイクな容貌”だったようで、特徴がよく出ているそうです。続いて明治30年に上野に高村光雲による「西郷隆盛像」が造られ、更には明治33年には同じく高村光雲により皇居前に「楠木正成像」が造られています。楠公像は別として、①大村=長州、②西郷=薩摩とすでには胡散臭ささがあった訳です。
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150502_04150502_03【大山巌】…靖國神社の一の鳥居から通りを挟んだ九段坂公園には元帥大山巌に騎乗姿の銅像があります。薩摩出身の大山巌は西郷隆盛・従道兄弟の従兄弟にあたります。戊辰戦争・西南戦争・日清日露戦争と陸軍一筋で”元帥陸軍大将”となっています。この銅像は山形有朋や東郷平八郎が発起人となり大正9年に現在の国会議事堂・憲政記念館付近の旧陸軍参謀本部の敷地に建てられました。制作者は新海竹太郎。高さは約4mあります。昭和22年には上野の芸大の敷地に移り、更に40年に現在の地に移っています。元帥の銅像の割には、略装ともいえる軍服を着、刀も拳銃も持たない丸腰状態で右手はポケットに入っています。どういう状況をモデルとしているのかよくわかりません。銅像脇には”碑文”らしきものがあります。西南戦争では、いくら軍人とはいえ自身の故郷と従兄弟の西郷を敵とするとは…。なんとも皮肉なことです。
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150502_05150502_06【品川弥二郎】…大村益次郎、大山巌と来て続くのは品川弥二郎です。高村光雲の監修により戊辰戦争以来の知己が発起人となって明治36年着工、40年完成なのです。確かに勲一等旭日大綬章を受け子爵なのですが…。どう考えても銅像を作ってもらえるほどの大物ではありません。贔屓目に見るなら吉田寅次郎(松陰)の塾生なのですが、テロ活動の実行犯的な実績しかありません。有名なエピソードとしては、戊辰戦争時の新政府軍の愛唱歌…「トコトンヤレ節」の作詞担当とあるのですが、それにしたって作曲者は品川弥二郎の馴染みの芸者らしいのですから、困ってしまいます。大正12年の関東大震災では、この銅像は倒壊したとありまが、よほどのファンクラブが存在したと思われ見事に再建されています。
こうしてみると九段坂付近の今に残る銅像群は薩摩と長州出身者による作為が多々みられます。勝てば官軍…ですなぁ。