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樋口一葉が5000円札の肖像に選ばれたのは偽造しにくい著名人(できれば女性)というのが主たる理由で、それ以上の理由はありません。いつもの事ですが…芸術家はその作品でのみ評価されるべきで、何処で生まれ、暮らし、死んだ等はどうでも良い事とでしょう…。文京区には文豪と称する人達の住居跡がやたらあります。その殆どが「看板のみ」ですが…。なかでも樋口一葉ゆかりの地は文京区と台東区で競っている感があります。…赤貧の生活。若くして(24歳)肺結核で死亡。死の直前の1年半で代表作を執筆…事実としとも日本人好みの要素が漂い、なんかしっくりきません。『にごりえ』など娼婦に入れあげて身代を潰した男の話を23.4の小娘の感性で書けますかねぇ?それ以前に赤貧の暮らしと結核で衰えた躰では執筆活動など無理だと思うのですが。そうなるとゴースト・ライターが存在して樋口一葉は名前だけの可能性も疑えますね。
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150612_02150612_03樋口一葉は12回も住まいを移転しています。家賃滞納で追い出された考えるのが自然です。東大赤門前の法真寺隣にも明治9年頃の住居跡碑があり、ゆかりの地としてはそこだけがしっくりきます。Ptの奥の左右が明治23年~25年ごろの住まいの跡だそうです。実に判りにくい場所です。「一葉ゆかりの井戸」がっていますが”なにそれっ”と言う感じです。民家の玄関先に井戸があるので住民の方はさぞ迷惑な事でしょう。2)は散々かよった「伊勢屋質店」です。台東区の竜泉に移ってからも通っているそうで、竜泉からだと1時間以上かかります。さぞ融通が利いたのでしょう。それにしても極貧生活の樋口家では何を質草にしたのでしょうか?実は質屋の主人がパトロンだったのかも知れません。
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150612_04150612_06Ptは白山通りに面した「樋口一葉終焉の地」の碑です。本郷で住居を転々とした後、一葉は当時の下谷区竜泉に10ケ月ほど移り住み、明治27年にここに移転しています。うなぎ屋の離れで6畳2部屋と4畳半の3部屋、庭には湧水で造られた池があっそうです。お隣りの居酒屋の女性をモデルに『にごりえ』が書かれています。更には『大つごもり』・『たけくらべ』・『ゆく雲』・『十三夜』など代表作が短い期間でこの地で書かれていますが、やはり納得がいきません(笑)。納得がいかないと云えば、東大前住居跡には真筆による『ゆく雲』の草稿碑がありますが、この文字がとても20そこそこ女の文字とは思えないほど上手なのですが…。