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外宮から内宮は御木本道路・御幸道路を進みます。江戸時代にはこの道はなく、現在の宇治山田駅付近から丘(尾根道)を超えて猿田彦神社に出る「伊勢古市参宮街道」を通るのが一般的でした。そして、この街道沿いに江戸の吉原。京都の島原に匹敵する遊郭街がありました。最盛期には妓楼70件、遊女は軽く1000人を超えていたそうです。興味深いのは吉原などとは異なり、古市遊郭には俗世間と隔てる「塀or囲い」がありませんでした。芸妓はいつでも”脱走”できたという事ですねぇ。色街では男と女のトラブルは付きもの、この句は爆笑もんです。
『古市の古き狐に騙されて、一度は来たが、二度はこんこん、思うてきて思わず、去る者はなし、身代滅ぶに、古市の里』…。
女達の為には「古市三座」と呼ばる「芝居小屋」が建ち、古市で評判にならなければ、江戸や大阪での檜舞台は無理とわれるほどの「役者の登龍門」だったそうです。”神社仏閣に詣でて、厄落とし”これがお楽しみの原点なのですが、遷宮で話題になった年でも「古市」話題になった事ありませんでした。TV的には難しい問題があるのでしょうが、こういうお話を含めての「文化」なのですが…。 
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旧の伊勢街道(狭い街道ですが路線バスが走っています)が御木本道路ち合流するところに『猿田彦神社』があります。ご祀神の「猿田彦大神」は、日本神話では天孫降臨の際に「瓊瓊杵尊」の高千穂への案内を務めた後伊勢の地に戻っています。時を経て猿田彦の子孫により五十鈴川流の地が献上され「倭姫命」に「伊勢内宮」が造られています。これを持って「みちひらき」の神様と言われ”伊勢参りの前に参拝すると”行程の安全を守ってくれるとも言われています。猿田彦神社の本殿に向かい合うよ、元祖ストリッパーである奥さんの「天宇受賣命」を祀る「佐留女神社(さるめじんじゃ)」があり、こちらは芸能関係の人達の信仰を集めています。
Pt)では判りにくいのですが、猿田彦神社の本殿は「さだひこ造り」と称する特殊な妻入造で、欄干や鳥居は八角形の柱が使用されています。
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