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Pt↑)は営業時間前の「おかげ横丁」の様子です。訪れる度に「赤福」による”観光スポット”の充実には驚かされます。まさに川柳にある『伊勢参宮大神宮にも一寸より』の世界です。2000年の歴史にも関わらず、伊勢神宮が何故この地にあるのかは判っておらず、舒明天皇の孫の「倭姫命」が”八咫の鏡”を安置する場所を求めて各地を巡り、この地で天照大御神よりお告げを受けたと云うのがその伝承です。天皇家の氏神ということで長い年月「私幣禁断」でした。江戸時代には「おかげ参り」という観光ムーブメントが突然おこり、1830年の3月~6月には当時の総人口(推定3000万)の13%、400万人が訪れ、この現象は周期的に発生し多くの人々が訪れるようになりました。民俗学では急激に流行り、やがて廃れる神仏を「流行神」というそうですが、伊勢にもあてはまるのでしょうか?妓楼40軒、遊女1000人の「古市遊郭」の大繁栄、「精進落文化」の隆盛をみると、お伊勢参りは「信仰の地」よりも、現代でいう「テーマパーク」的要素が主流のように思えます。意味不明な「パワー・スポット」説や某赤●の仕掛けた「グルメ信仰」の踊る現代の旅行者の姿とたいして変わりません。
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別項でも触れましたが…この「大神神社」は伊勢神宮が造られる遥か以前からこの地にいらっしゃるという事です。日本最古の神社と云われ、ご神体が「三輪山」そのものというで”神々がいらっしゃる場所”という感を強く感じます。元々皇室の祖先神である「天照大神」はこの奈良(桜井)付近に祀られたはずですが、なぜに放浪の挙句”伊勢の地”に移ったのでしょうか?皇室が簡単には行幸できない地に祀ったにのは、もしかして「邪魔な存在」になったのかも知れません。 それにしても「大神神社」のご祀神は、大和の地でありながら出雲系の神様が祀られているのも不可思議です。
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熊野には、天照の母親の伊邪那美命が亡くなった場所という神社(?)があり、滋賀には天照の両親を祀る多賀神社など興味深い神社までありました。つくづく思うに、この国は振り返れば神々が身近で見守ってくれている国ですね。 …この項はこれで終了です…
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