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Ptは青山霊園の【軍神・廣瀬武夫少佐(特進して中佐)】の墓所です。墓石には「海軍中佐贈正四位廣瀬武夫墓」とあります。明治37年の日露戦争時、大日本帝国海軍は旅順港のロシア旅順艦隊を湾内に封じ込める為、三次にわたって湾口に廃船を沈めて旅順港海上封鎖作戦(閉塞作戦)を企てました。3月27日の第二次閉塞作戦は廣瀬少佐の指揮の元に実行され、廣瀬少佐、杉野兵曹長他計4名が戦死。失敗に終っています。廣瀬少佐は作戦撤退時に行方不明の杉野兵曹長を捜索している時にロシアの砲弾をまともに、受け消し飛んでしまいました。明治37年4月5日に”肉片”が日本に帰ってきます。大雨の東京・新橋駅は在京の海軍軍人や市民の出迎えで大変な騒ぎになりました。
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廣瀬少佐は戦死後”中佐”に特別昇進し「軍神」として崇められるようになります。中佐に関する歌も作られ、文部省唱歌『廣瀬中佐』の♪~轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)。荒波洗ふ デッキの上に、闇を貫く 中佐の叫び。「杉野は何処(いずこ)、杉野は居ずや」~♪がよく知られています。Pt↑)は靖國神社参道大灯篭に埋め込まれた”旅順港閉塞作戦時”のレリーフで富國徴兵保険(現フコク生命)が昭和10年に奉納したものです。この他にも神門に向かって右が海軍、左が陸軍の”名場面のレリーフが造られています。