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Pt↑)は地下鉄泉岳寺地上出口前、ビルの3階に鎮座している稲荷社です。見落としたのか由緒書きはおろか神社名を記したモノがありません。「高輪稲荷神社」という名称らしいのですが、鳥居や社殿の造りは稲荷社の形式になっています。神社の位置関係からして、昔は泉岳寺の境内社だったような気がしますが…。その先は不明です。Pt↓)は境内にある狐のオブジェ(?)です。素人の作品なのでしょうかねぇ? 
泉岳寺に向かって坂道を登る途中に牡蠣がらのような石碑が建っています。かろうじて「四十七義士」の文字が読めます。ここも境内だったのでしょう。 
泉岳寺中門は、天保7年(1836)年に再建された門で、「萬松山」の額は清の禅僧による書とあります。中門に「建設反対」やら「だんだら幟」は…【望みはひとつ泉岳寺の景観を守ることでござる!/国指定史跡・泉岳寺の歴史的文化財を守る会】…とあり、要はマンション建設反対のアピールです。そういえば昨年の義士祭の折に義士役の多くがこの幟を掲げており違和感を感じたものでした。
忠臣蔵(赤穂事件)は時代背景と事実関係だけを追うと『47人の不良浪人による筋違いな逆恨み虐殺暴力事件』という事になります。つまりは浅野の家臣が「私怨」は晴らすために起した無法事件にすぎません。「義士」と呼ぶのは少し違うような気がしてきます(苦笑)
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