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江戸末期から明治初年にかけて築地が「外国人居留地」であったのは知られていますが、1868年(明治元年)から約3年間、現新富町に130軒の遊郭と1700人の遊女がいる大規模な遊郭があったのは知られていません。居留地造成時に家田中蔵、木下宗四郎の両名が5万円の冥加金を上納して、本多隠岐守・井伊掃部頭の屋敷跡に『新島原』と称する外国人向け遊郭を開いています。この遊郭は不人気で1871年(明治4年)には廃止になり、翌1872年、跡地には「新富座」が開場されるも関東大震災で倒壊。そのまま廃止となっています。現在は『新島原遊郭』を思わせるモノは何一つありません。現京橋税務署敷地(中央区新富2-6)に「新富座跡」の案内板があり、税務署近くの「新富稲荷社」は新島原遊郭の中万字楼(家田中蔵)前にあり「中万字稲荷」と呼ばれていたようです。この辺りが遊郭の中心だったのでしょう。
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