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江戸幕藩体制化から明治初期に関八州の穢多・非人身分を支配する『弾左衛門』という職名(同時に人名)がありました。身分的は被差別階層で、皮革加工や行灯の芯などの製造販売の独占的な支配が許されてた人達です。学校教育の場には絶対に登場しませんが『弾左衛門制度』を調べていくと『そうだったのか!』と目から鱗の話が続々と登場します。山谷堀を渡たり、現今戸神社近辺が弾左衛門屋敷跡なのですが、今戸神社は江戸の地図には「八幡社」とあります。神社縁起には1063年頃源頼義・義家が創建した「今戸八幡」と弾左衛門縁の「白山神社」を1937年に合祀したとあります。という事は…白山神社の祭神が”伊弉諾尊・伊弉冉尊”の夫婦の神なので『縁結びの神』ですかね(?)。「招き猫発祥の地」の伝承も、浅草寺で売られた”今戸焼きの猫”によるらしいのですが(?)猫の伝承なら山谷堀の西芳寺(巣鴨に移転)の”高尾太夫伝承”のほうがしっくりきます。さらに『新撰組・沖田総司の終焉地』との碑もあるのですが、お墓ならともかく”終焉の地”は千駄ヶ谷にもあります。実にミステリーに溢れた神社です(笑)。
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