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埼玉県久喜市に源義経の愛人・静御前の墓あるというので途中下車で寄ってみました。久喜市の残る伝説によると…【義経を追って奥州に向かった静御前は文治5年(1189)5月現在の茨城県古河市で義経の死を知り、当時の栗橋町の高柳寺で出家したものの、旅の疲れや心労から病になり同年9月に22歳で亡くなったとされる】…そうです。JR(東武)栗橋駅東口徒歩1分の地には、静御前の墓と義経の招魂碑、生後すぐに殺害された男児の供養塔があります。静御前の終焉の地伝承は全国各地にあるのですが、久喜市では毎年9月には「静御前墓前祭」という追善供養や10月第3土曜には「静御前まつり」と呼ばれる祭が行われています。それにしてもこの看板、冗談にもほどがあります。
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義経と逸れて捕われ、鎌倉で頼朝の前で舞ったとされる…【しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな 吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき】…義経を慕う歌は大変有名ですが、これは『伊勢物語』の「古のしづのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」の歌を引用しています。静御前=白拍子=現代ならキャパ嬢。いやいや大変な教養です。それにつけても義経公は兄・頼朝の思考も理解できない自己中の馬鹿野郎で「猫背で出っ歯の不細工」だったとの説もあります。それでも”源氏の御曹司”には女は弱いのかも知れません(笑)。
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