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このあたりが例幣使街道のようです。『例幣使』とは、徳川家光により日光に徳川家康霊廟の東照宮が造営されると、幕府は朝廷に幣帛(へいはく)の奉納(要は”頭を下げに来い)と要求。朝廷側は正保3年(1646)から日光東照宮に勅使 (例幣使) を派遣するようになりました。普段は貧乏下級公家の朝廷と幕府の権威を背負っての道中ではここぞとばかりの我儘放題で、宿場町では無賃協力など大変な迷惑をこうむったようです。そのために整備された街道が『日光例幣使街道』で、中仙道倉賀野宿から日光西街道・楡木宿までの14宿を言います。日光東照宮では4月15日から家康の命日の17日まで大祭が行われ、これに合わせて京都を出発。15日に日光到着、16日の奉幣後はとっとと東海道を通って帰ったそうです。そんな宿場町跡が残っているとおっしゃいますが、面影なんざぁ何処にもありません(笑)。
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