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自論ですが、歴史の流れは必要な時に必要な人間が登場し役割が終わると不思議と退場していくようです。西郷吉之助(隆盛)にしても、勝海舟との江戸城無血開城までは徳川家撲派で挑発行為やテロ行為の急先鋒でした。勝とのこの一件で西郷の役割は終り、以降の西郷の立場や行動は変わっていきます。西南戦争でので西郷は自らの死に場所を探していたのでしょうか?。最強の薩摩軍が最低の作戦で敗れ城山に散っていきます。
Pt↑)は軍服姿での西郷像です。平成19年に地元の高校生が実測したところ、身長=5.257m、肩幅=1.368m、頭の長さ=92.4㎝あるそうです。像の後方の城山が終焉の地です。西郷はフィラリアに罹り睾丸が信楽狸状態で、検死確認の決め手となっています。
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もう一人が大久保一蔵(利通)です。2人の生家は驚くほど近く、同町内からは西郷従道、大山巌、東郷平八郎の生家があります。面白いことに2人の銅像は距離的にかなり離れています。大久保は鹿児島では嫌われものらしく苦肉の策のようです。明治以降の二人の立場を考えればさもありなんです。銅像は昭和54年(1979)に没後100年記念で造られています。大久保利通は明治11年(1878)齢47歳で現千代田区紀尾井町で、全身16ヶ所を切り刻まれた凄まじい殺され方をしています。同時に殺害された馬車の御者と馬は青山墓地の大久保の墓敷地に埋葬されています。青山墓地に人以外が埋葬されているのはこの馬だけです。
Pt↓)西郷吉之助&従道の生家跡です。・大久保一蔵の家跡で、生誕地はやや離れています。・桜島の姿が見えたのはこれだけです。
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